伊東雋祐氏が第1回全国手話通訳会議で報告した概要には、伊東雋祐氏が発表した直後から京都の手話通訳者集団で討論して一致したことと異なった発表をしたとの批判がなされた。
しかし、伊東雋祐氏はそのことを訂正はしなかった。
批判されたことは次のことであった。
みみずく会手話通訳団の見解だったと
伊東雋祐氏は反省と訂正をしたが……
伊東雋祐氏の問題点と弱点と
「みみずく会手話通訳団」
1、伊東氏が
「以下は京都の「みみずく会手話通訳団」の討議に基づいて整理した「通訳論」の概要であり、この機会に大方のご高覧を賜り、ご批判いただければ幸甚である。」
としながら、その基本を述べているのは後半の「五点」であり、それまでの部分は伊東氏の私見であり、「みみずく会手話通訳団」のまとめを混在させて報告している。
このことは、「みみずく会手話通訳団」から道義的問題があると再三再四指摘されたが、伊東氏はそれを訂正しないまま放置してきた。
晩年、伊東雋祐氏は多くの指摘を「若気の至りだったことにして欲しい……」と当時の人に謝罪した。だが、伊東雋祐論文と勝手に名付けらて全国に広まってしまっていた。
伊東雋祐氏から、私的意見を述べた項目は訂正し、削除したいという強い意志が示さていたのでここに明らかにしておきたい。
今では、伊東雋祐氏の遺言になった、訂正、削除について報告しておきたい。ご承知おき下さい。
手話を知っていても
「抗弁」出来るとは限らない
2、伊東氏の意見とは、
教え子の家裁における訴訟問題の項で、
A君が「まず何の支障もない程の口話技術<言語力量を含めて>を身につけることができた。読解力、作文力ももちろんのことである。」としながら彼が「承諾」した根拠を「口話教育」に求めているところである。
京都ろう学校の口話教育は、聞こえる側が発する音声を「受容」することを最重点にしていたため、聞こえる側から話しかけられてもまず受け入れる=「受容」する条件反射と結びついて教育されていた。
だから手話を知っていても「抗弁」出来るとは限らない点を解明せずに、家裁の問題を家裁制度やろうあ者への配慮などの問題を抜きにして口話教育へ「責任」を転嫁しているという問題である。
一般的なろうあ者問題、および個々のろうあ者の
もつ事例の理解者、受容者、進んでは
問題探究者としての領域への不理解
伊東氏がろう学校の教師でありながら、自らろう教育の問題点を解明せず第三者的に論じているところは少なくない同じろう学校教師の手話通訳者からも批判があった。
「例えば先例のA君は通訳活動の支援を受けることにより、その不服な調停条項に対して、直ちに抗弁反論できたであろう」
とは単純に言い切れない現実に当時の京都の手話通訳者は直面していただけに、伊東氏の単純化する根拠には批判があった。
手話通訳が保障されても、警察、検察、裁判ではさまざまな複雑な専門用語や制度が飛び交い、そのためろうあ者が「混乱」して、自己に不利益なことに陥ることが多かった現実があったからである。
そのため、警察、検察、裁判での手話通訳者は最低同一の手話通訳者にしないことなどが、警察、検察、裁判に申し入れられていた。
だから、「みみずく会手話通訳団」として
「(2)一般的なろうあ者問題、および個々のろうあ者のもつ事例の理解者、受容者、進んでは問題探究者としての領域」
を提起したのであるが、伊東氏の提起はそれを深めた事例を説明したのではなかった。
ろう学校授業拒否事件の
ある一つの側の言い分を取り入れている
次に手話通訳の役割の項で伊東氏は、
「ろうあ者に対する通訳者の使命とは、単に健聴者とろうあ者の中立的交換手ではないし、まして権力者、支配者の末端に立つことではさらにない。
健聴者一般を支配者、ろうあ者一般を被支配者とする見方は誤ってはいるけれども、時には私どもはこの誤った見方さえ諾わねばならぬほど、ろうあ者に意見や行動をおしつけているのである。」
としている点でも批判が出されていた。
国民を支配と被支配に区別して手話通訳者は支配側でないとしながらも「時には」支配の側に立っているのだとする主張は、伊東氏が当時影響を受けていた京都における一部の同和教育の「差別論」の考え方を無批判的にそのまま手話通訳のあり方にまで「引き込んでいる」。
京都ろう学校授業拒否事件のある一つの側の言い分のみを取り入れているではないか。
ろうあ者の権利を守り
共同の権利主張者としての
領域という提起から逸脱
支配者と被支配者の単純な図式は、支配者は被支配者の要求を受け入れなければ、支配の立場に立ち続けるということになり、支配者は被支配者に従属するのが当然であるという結論になる。
これは、表面上の論理は異なっても「奉仕論」と同一線上の論理になり、手話通訳者は、
「(1)ろうあ者の権利を守り、共同の権利主張者としての領域」という提起から逸脱することになり、「共同の権利主張者としての領域」ではなく、手話通訳者はろうあ者を「時には支配する領域がある」ことを伊東氏は「極論」づけてしまったのである。
このことは、結果的に前述したろうあ者の悲惨な生活から来る「被害論」や「感情論」などに「迎合」を導き、手話通訳者の立場や権利がろうあ者と対立関係に転嫁させられ、手話通訳者の立場や権利が退けられることになっていった。