手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
あらためてCさんから
学んだこと
自分のことから
全体の人の問題としてとらえる行動
なんでもかんでも聞こえないからと言って聞こえない人は、ろうあ者は、と言っている人は、結局、ろうあ者の「衣」を被って自分のことだけを言っているし、ろうあ者問題の理解者と言われている人もしょせんは、ろうあ者問題を「利用」して自分の存在をアピールしているだけなんや。
俺もそんなことをしてきた。
と言って反省を述べたCさんは、それから教職員の労働条件や不公正な問題などに積極的に参加し、京都府教委との交渉にも参加して発言するようになった。
Cさんの教員採用については、ろう学校の一部の教師からさまざまな「悪口」が陰で話されていたが、Cさんはそのようなことを頓着しなくなっていた。
全国的に聞こえない教師として当時から知れ渡っていた教師に対してCさんは、他のの教職員の問題に一緒に取り組むように呼びかけていたが見向きもされなかった。
自分のことを全体の人の問題として言う傾向は、よくあったこととして捉えないといけないと改めてCさんから学んだ。
すべてのろうあ者は
手話が分かると「断定」する傾向に
最近ろうあ者の人は、手話が必要という人の中にすべてのろうあ者の人は手話が分かり、通じるかのような考え。
手話や筆談などの他のコミュニケーション手段を用いることはろうあ者の手話の必要を認めてないことであり、ろうあ者問題を理解していないことの現れと「断定」する主張が見聞きする度にCさんのいった事を想い出す。
京都府政の流れが変わったので
要求はすべて受け入れないで
敵視することが基本だったが
Cさんが教師として採用されて十数年後、採用問題で京都府教委の担当者だった人と偶然道で出会った。
その人は、かけよって来て、定年で府教委をやめたけれど今でもCさんの採用問題について心残りのことと君たちへの感謝で一杯だと言った。
京都の知事が変わり、京都府政の流れが変わったので、教職員組合の言うことなど要求はすべて受け入れないで敵視することが行政担当者の基本だったが、と話しはじめた。