手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介
1968(昭和43)年の段階でも福島県立福島ろう学校長は手話の必要性を認め、教職員のが手話を学ぶ機会をつくろうと言っているた。
この事実をも認めて手話を考えて行かなければならない。
手話を否定したり 無視する
ろう学校の教職員もいたが教育制度的に
手話が禁止されていたとは言えない
この「手話と手話通訳」でろう学校で口話教育が強力に推進されたけれど、手話が禁止されたとは公式にも制度的にも言えないと幾度も述べてきた。
だがしかし、手話を否定したり、無視する傾向がろう学校の教職員の中にもあつたことは事実である。それをもっても、それ故に教育制度的に手話が禁止されていたとは言えない。
制度と事実と内容を熟考して、ろう学校における「手話禁止問題」を考えるとある本質的問題が露呈してくる。
東京ろう学校の教師が
手話通訳の必要性をさほど考えなかった
とする不可思議な理由
第一回全国手話通訳者会議では、ろう学校の教師である東京の大久保襄氏は、このろう学校長のあいさつに比して、私は以前(13年聞)ろう学校につとめていたが、手話通訳の必要性をさほど考えなかった、と「手話の各論について」で述べている。
手話通訳を必要と考えない理由
ろう学校の教師である東京の大久保襄氏はろう学校につとめていたが、手話通訳の必要性をさほど考えなかった、とする理由を次のように述べている。
○手話通訳を必要と考えない理由
1、口話教育が十分にゆきわたれば、その必要はないという。口話教育をあげている人にみられる。
しかし、それでは、4mの巾とびが出来る人がいるなら、4mの川には橋をかけずともいいではないかという考えでもよいだろうか。
2、そこまでしてやることがないではないか。その根一差別意識
(例1)ろうあ者同志の結婚式。聞こえる人だけのあいさつで、当事者がおきざり(つんぼさじき)にされている。こわいことである。
(例2)まわりの人が、どんどん当事者におかまいなく、物事を進めてしまう。
保護はされるけれども尊重されない。
結果的に本人がダメになっていく。
○その他
ろうあ者が、選挙演説を聞きたい場合、演説会に出席しても仕方がないんだと諦めたところへ積極的にききたいという意欲が出て来た。
自分達だけのささやかな生活を守っていけばいいんだというこれまでの意識であった。
○東京でのろうあ者の立場は、又一種特別なものである。
○身近かな生活でも、ろうあ者だけの孤立した世界をつくっている方が気楽であるという考え{意識}がある。これは、ろうあ者だけの責任ではない。
ひっぱり出してやる健聴者の心やりも大切だ。
と述べている。
このろう学校の教師である東京の大久保襄氏も京都ろう学校の伊東雋祐氏も共通項がある。