手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
「被害者の哀しみを考えてくれ、アンタなら出来る。」
「やってくれ」
被害者からの告訴と
加害者への追求
被害者からの告訴がなければ親告罪がどれだけ山積みされた問題があるのかと思い知らされた。
無茶な頼みだったが、今回も気迫に押されて加害者の家に行くことになった。
何度行っても加害者は留守だった。
ある日、加害者の兄さんにを尋ねる歓迎されてに家に入れてもらった。
少し待ってください、と言われて家に入ったが、部屋は一つだけだった。
そこですべての生活をするという極貧の生活をされていた。
そこでみた光景は、それから以降長く「宿題」とされることになった。
卓袱台に新聞紙
お父さんの履き古した
革靴を置いて
両親が聞こえないのに、両親が子どもと共に幼稚部からの「ことばの宿題」をしていた。
卓袱台に新聞紙をひきお父さんの履き古した革靴を置いて、必死になって、幼稚部に通う自分の子ども。ろう児に幼稚部の宿題を教えていた。
「くつ」と言い。
「くつ」と子どもに言わせる。
両親の瞳は、子どもの口元にだけ集中していた。
ビンタなどは一切なく、卓袱台に置かれた靴のことばを両親が必死になって教えている。
靴をもって「くつ」、次に鉛筆をもって「えんぴつ」と両親が口を開けて解りやすく言っている。
けれど両親の「発音」は明瞭でなかった。
子どもは、お父さんややお母さんの口形を見て、必死になって「く・つ」「え・ん・ぴ・つ」と言っている。
両親が聞こえることを
前提としたことばの宿題
私はいたたまれなかった。
こんな宿題があるだろうか。
お母さんやお父さんが聞こえることを前提としたことばの宿題。
そこには、両親が聞こえない事は一切無視されて、両親が子どもに家で「ことばの宿題」をしてくるようにしている。
あまりにも惨すぎることではないか。
加害者を待つ時間を忘れて、私はその哀しみの中に浸っていた。
代わりに私が「ことばの宿題」を……と言いかけたが堪え続けた。