手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
第一回全国手話通訳者会議から第七回全国手話通訳者会議についての資料等、考察を掲載してきた。
この第一回全国手話通訳者会議から第七回全国手話通訳者会議までの資料は、全国手話通訳問題研究会にデーターベースとして寄贈されているので、第一回全国手話通訳者会議から第七回全国手話通訳者会議までの資料を入手されたいさまざまな考察を交わしていただきたい。
貴重な資料を残していただいた
多くの人々の努力が報われために
第一回全国手話通訳者会議から第七回全国手話通訳者会議までの記録は、当時の和文タイプライターなどによる印刷やその費用等の制約があるが今日では貴重で学ぶことが多い記録である。
さまざまな角度から考えていただくことによって貴重な資料を残していただいた多くの人々の努力が報われると考える。
手話通訳に関する
基本的問題の全容が網羅されている
さて、今まで、考察してきたことについて、
第一に強調しておきたいと考えるのは、現在の手話や手話通訳についての諸問題が、この第一回から第七回までの間にほとんど網羅されていることである。
さまざまな立場やまざまな意見を持った人々が一つのに集まって、さまざまな意見を交流し合いながら、お互いの意見を再認識してきた。
この7年間にわたる歴史は、国際的にも観ても評価しきれないほど有意義な会議であった。
日本では手話に関わる人々が集い
手話や手話通訳について論議をしていたが
当時、国際的な手話や手話通訳の問題を調査したが、あらゆる階層、あらゆる地域から、すなわち国中から手話に関わる人々が集い手話や手話通訳について論議をしているということはなかった。
むしろ、国際的にも両親がろうあ者でありその子どもが育つ中で手話を覚え、手話通訳をしているという傾向が強かった。
手話通訳の身分保障や制度化を要求するという取り組みは考えられもしていなかった。
手話通訳について
国際的に先進的な取り組みをしていた
日本では、両親がろうあ者であるとか家族にろうあ者がいるからって自然に手話も学ぶという側面もありつつ、広く国民が手話を学ぶ機会をつくり。手話通訳者が育ってきたと言える。
この点でも、国際的に見ても、極めてまれなケースとして考えられた。
日本は、非常に先進的な取り組みをしていたのである。