手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

大原省三さんの絵と手話と人生との出会い

                             Ⓒ豆塚猛       

communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

質問
 この方は画家ですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 そうです。
 大原省三さんです。

 

 大原さんは、千葉県市川市東京教育大学附属聾学校のちに筑波大学附属聾学校となったろう学校の美術の先生をされていました。

 

 大原省三との出会いは、古くからですが、特に全国手話通訳問題研究会の講演で深く共鳴することがあったんです。

 

「見るだけで楽しい、字は読めないけれど‥‥‥」

   の手話通訳問題研究誌を絶賛

 

質問
 講演で深く共鳴、ってどういうことでしょうか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 大原省三さんが、手話の源流について話された後、わたしが聞えない人々の戦争体験とその記録のことを話したんです。

 

 大原さんの講演は、手話はもちろん手振りや文字、絵などを使って話され会場はしばしば爆笑に包まれたのですが、私の話はその真逆であったため、全然おもしろくない、と「袋叩き状態」だったんです。

 

 が、大原さんは、講演の内容を高く評価されて、私との交流がはじまるのです。

 

とくに「見るだけで楽しい、字は読めないけれど‥‥‥」のことばを強く心に刻んで手話通訳問題研究誌をつくることに絶賛していただき、和紙に書いた絵と詩を手話通訳問題研究に掲載することを許可していただいた。

 

 毎号、大原さんの和紙に書いた絵と詩を送っていただいたんですが、いくつかの掲載は出来たのですが、とんでもない失敗をしてしまい大原さんからお叱りの手紙をいただくことに‥‥‥

 

絵と詩の雰囲気が分断されて連続性を、と思考と感動

 

質問
 印刷ミスとかがあったんですか。

 

元手話通訳問題研究編集長

 印刷は慎重にしました。
 和紙の風合い、絵の風合い、色。

どれも慎重にしました。

 

質問
 それなら失敗されたのは。

 

元手話通訳問題研究編集長
 送られてきた絵と詩が横に長くどうしても、1ページに収まりきれなくなって、「見開き」にしたんです。

 

質問
 見開きってどういうことですか。

 

元手話通訳問題研究編集長
 左右の2ページに送られてきた絵を分割して、研究誌を開いたときに繋がるようにしたんですが、どうしても製本の関係で絵と詩が「分断」されたようになって。

 

 研究誌を見た大原さんから、絵と詩の雰囲気が分断されて連続性がなくなると批判の手紙をいただいた。

 

 私は、平謝りにあやまって、それ以降、誌面の工夫をしたのです。

 

 大原さんは、そのことをいたく感動していただいて、連日のように、絵と詩を送ってこられた。

 

 書き切れないほどの感動がはじまりました‥‥‥