
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開 個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。
Questioner
意見の違いを排除したりするのではなく、広く意見を交流していく目的で全国手話通訳問題研究会が作られた、ということですが、そうなんでしょうか。
意見の違いがあっても一致出来るのですか。
元手話通訳問題研究編集長
考えてみてほしいのですが、第一回全国手話通訳者会議から、それぞれの地域・それぞれの職域の人びとが集まって交流すると、底流に流れる手話通訳保障という点ではとても時間がかかりましたが、恒常的に交流・検討・研究する機会をつくることで全国手話通訳問題研究会をつくろうという機運が産まれてきました。
繰り返すようですが、機運と言っても最初からきちんとした研究団体が出来た分ではありません。
徐々に全国手話通訳問題研究会はつくられてきたのですから。
いつどこできちんと研究団体としてつくられたというものではありませんでした。
もっとハッキリ言えば、全国手話通訳問題研究会が全国手話通訳問題研究会という研究団体としてきちんと出来上がったのは、代議員制度がつくられ、全国手話通訳問題研究会会報が出される頃だったともいえると思います。
意見の違いを排除したりするのではなく
広く意見を交流到達をつくりあげるオープンな研究誌
Questioner
全国手話通訳問題研究会会報が出されたのですか?
元手話通訳問題研究編集長
かっての全国手話通訳問題研究会の資料を見れば解ると思います。
研究団体としての方向や動き、財政報告などが報告取り決められています。
従って、全国手話通訳問題研究会会報は会員内部の取り決めに留め、全国手話通訳問題研究誌は会員内部の研究ではなく
「意見の違いを排除したりするのではなく、広く意見を交流し、一定の到達をつくりあげる」
というオープンな研究誌を目指したわけです。
全国手話通訳問題研究会の産みの親は全国手話通訳者会議
理想ではなく現実的な歴史でもあった
Questioner
それは理想論ではないですか。
元手話通訳問題研究編集長
全国手話通訳問題研究会の産みの親は、全国手話通訳者会議であるので「理想」ではなく現実的な歴史でもあったのです。
そういう点ではあくまでも研究団体ですから。研究誌というと大学の著名な方が論文を掲載するというイメージを払拭する。
多くの方々の知恵をあっめて、集まって集団研究するそういう場をつくつろうとしたたわけです。
多くの方々の知恵をあっめて手話通訳を集団研究する
全く分野は違いますが、当時、野尻湖の発掘調査を研究者とともに子どもたちが一緒になて、マンモス象の発掘などがすすめられていましたが。
子ども大人も研究者も含めて共同で取り組んで大きな成果を収めていました。
その中心であった大学の先生にどのような取り組みをしていたのかをききましたが、その大学の先生は、発掘されたものを研究者の思い込みを飛び越えて子どもたちが自由に発想するので研究者自身が「思い込みの殻」を打ち破ることが出来たと話されていました。
ある意味、理想と現実という一見相反することであっても手話通訳研究という課題に立ち向かって行かないと日本に住む人びとに「真の手話通訳の方向」はひろがらないと考えたわけです。
と言っても財政問題があるので、研究誌の普及版や市販ルート。ようするに本屋さんで手に知ることが出来る本や手話テキストを作ることで一定の財政を賄うということを考えました。
それらが、広範囲に購買されてるということは、手話通訳の社会的理解の広まりでもあると考えました。