手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話通訳以前の前提を すべての人々が健康に

 

 最近の手話通訳事情からの再検証を考える

 

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     大腸の検査をするために大病院に行くことに

 

事例 7-6

 

 京都のB子さんは、自分の家の向かい隣に住んでいる手話の出来る主婦Kさんとの話では、饒舌になるのに聴言センターから派遣された手話通訳に対しては全く話をしない。

 

 ある日、「血便が出た」とB子さんはKさんの家に駆け込んできた。

 B子さんは救急車で病院に担ぎ込まれた。

 

 この日も行きつけの内科に担ぎ込まれたが、異常が見られないので大腸の検査をするために大病院に行くことになった。

 

         なんか 心臓がどきどきする

 

 ここからは、公的に派遣された手話通訳者が手話通訳することになった。

 

 内視鏡での検査の当日。事前の薬。水を飲むなどの準備の中でB子さんは怖くなってきたようで

 

「なんか。心臓がどきどきする。」

 

と言いだして、大腸の検査をしないで、心臓の検査をすることになり、

 

「心臓は異常がない」

 

と病院から帰ることになった。

 

      「また血が出た」とB子さんはKさんの家に

 

 結局、血便の原因は分からないまま大腸の検査は、次回回しになったけれど、B子さんは行かなかった。

 

 数日して、「また血が出た」とB子さんはKさんの家に駆け込んできた。


 手話通訳とろうあ者の信頼が、手話通訳の基礎にあることを幾度も述べてきた。
 このことは、公的に派遣された手話通訳者が手話通訳を否定するものでは決してない。
 が、しかし、留意すべきものがある。

 

  血便が出るのに大腸の検査をしないで帰宅することの危険性をB子さんに知らせ、B子さんが納得出来るようにでききれなかったことは、仕方がないということでは済まされないだろう。

 

     「公衆衛生」という言葉が使われなくなった

 

 近年、個人情報が云々ということでしばしば責任逃れの理由にされることがある。そのことをあえて書き留めておくのは、健康を守るネットワークがあるようでない、いや、形式的になっているのではないかと思われる。

 

 1970年代、京都では、保健所の「保健婦」さんとろうあ者はしばしば相談したり、互いに訪問するという関係が形成されてきた。

 「公衆衛生」という言葉が使われなくなった今日だからこそ、逆にその充実が求められていると言える。

 

 すべての人々が健康に、という国際的とり組みは知らされず、他の国際的動向だけが先行してカタカナ文字が先行している。

 
  アルマ・アタ宣言 Declaration of Alma-Ata。1978。 すべての政府、保健・開発従事者、世界の市民社会が、世界中のすべての人々の健康を守り促進するため、至急のアクションをとる必要性を強調した。

  

 本宣言以降、「すべての人々に健康を」 (Health For All:HFA) として世界保健機関加盟国に受け入れられた。