故大原省三さんは、手話表現の多くは、戦前の聾学校で使われた教科書や漢字表現や漢字の意味などがくると数多くの記録を残しておられる。
嘘と言う手話も「口に息をためて」「「はく」「吹く」と関連しているとして、ほっぺの片方を膨らませて、それをくっつけるということで、「嘘」の手話を表現している。
京都では。片方のほっぺを膨らませたり、舌を使ってほっぺを膨らませたり、膨らませたほっぺを一指し指で指したりした。
したがって、嘘・嘘は、人差し指で突くことで表現されていた。
「手話通訳者は、手話通訳以外の援助作業をしてはいけない」として、医者が野菜を食べなさいと言ったから野菜と通訳した、それをどのようにろうあ者が受けとめようが、理解しようが「情報提供した」ので、ろうあ者の責任であって、手話通訳者の責任ではない、と主張する人も多い。
医療側の受け入れは大変革したのに
では、「野菜」をその手話通訳者はどのように手話に置き換えたか、またそれはどんな野菜で、それを食べることは病気回復などになぜいいのか、などの具体的意味をろうあ者が医者に聞かえす機会を持ったかどうか、という問題は残る。
1960年代以前は、多くのろうあ者が通訳と同行して病院に行っても一日かかって医者とのやりとりは数分。
医者に質問しようなら医者から怒鳴りつけられたことがしばしばだったと聞く。
そんなことまで言う必要ない、という医者の権威主義に圧倒されてすごすごと病院を後にしたと言われている。
今日ほど医者がていねいに説明し、質問に答えてくれることなどは夢のまた夢であると当時のろうあ者も手話通訳者も言う。
医療側の受け入れは大変革した、と言っても言い過ぎでないものがあると言う。
生きた手話学習、手話研修ではなかったのでは
大腸検査なのに心臓検査になったことについて、それはただ手話通訳したからそうなったんだ、といえるかもしれない。
だが手話研修会などで手話通訳は命に関わることにもなる、と教えられたりして学習していることが生かされていない。
生きた手話学習、手話研修ではなかったのではないだろうか。
資格だけで信頼すべきとされていないだろうか
手話で会話をしながらお互いを理解し合うとか、日常的に暮らしている地域にいてコミュニケーションするなどなどを通じて信頼関係が前提とする手話通訳が求められる。
だが、手話通訳の資格は部屋の一室だけの試験で得た資格となり、その資格だけで信頼すべきとされていないだろうか。