読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

手話と手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

菊池さんの手話の「地獄絵」が眼前に甦る

 

 (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)を再録・編集して公表してほしいとの要望に応えて。

f:id:sakukorox:20161021220853j:plain

 

      この地が菊池司さんの明暗を分けた地

 

 長崎に行けば必ず「道ノ尾」に行こうと考えていた。

 

 幾度となく長崎を訪れたが、「道ノ尾」だけは、少し市街地から離れたところに存在していたた。

 

 2000年7月下旬初めて「道ノ尾」駅周辺を訪れた。

 聞くより行って見る、ということがよく言われるがまさにその通りだった。

 この地が菊池司さんの明暗を分けた地であったのだ。

 

    「道ノ尾」から「馬町の自宅」までの

    道を菊池さんと共に歩いた

 

 菊池さんは、この地で被爆し、原爆直後の爆心地を通って自宅にたどり着いた。

 信じられないことだが、全通研長崎支部のみんなさんは、「道ノ尾」から「馬町の自宅」までの道を菊池さんと共に歩いた。

 

      歩きながら はなし 立ちどまり 考えてたしかめて

 

 歩きながら、はなし、立ちどまり、考えてたしかめて。

 

 当時の状況と現在を重ね合わせて。

 

 菊池さんの被爆体験と爆心地の状況を確かめて回り続けた。

 

 その道の一部をすこしばかり歩いた経験があったが、「道ノ尾」に行くことで、菊池さんの歩いた地域の全容を知ったことになる。

 

 あらためて菊池さんの証言の「地獄絵」が眼前に甦ってきた。

 

    ていねいで心温まるお礼の言葉が

    山ほど捧げられて

 

 菊池さんは、70歳を前後して私たちに自分の被爆と原爆投下後の「爆心地」の様子を証言してくれた。

 

 本人にとって思い出すのも非常につらいことであり、過去の記憶を呼び戻すことのショックははかりきれないものがあったと思る。

 ところが、長崎駅で菊池さんは笑顔いっぱいで私を迎えてくれた。

 辛い、なんてとても一言で言えないような状況。

 菊池さんはそれを全通研長崎支部に語ってくれ、それが「手話通訳研究」誌に掲載され全国に報告された。

 

 その事で菊池さんに感謝の気持ちでいっぱいであった、が、お礼を言おうとする前に、菊池さんからていねいで心温まるお礼の言葉が山ほど私に捧げられてきた。

 私は、ただただ恐縮するばかりであった。

 

 長崎駅改札口での出会いと菊池さんたちの手話は、私の心の奥深くに今も残り続けている。

 

      より輝き 

 今まで以上の新しい人生を獲得されて

 

 菊池さんが被爆体験の証言をはじめて亡くられるまでの10年間。

 

 菊池さんは、より輝き、今まで以上の新しい人生を獲得されていった、と聞いた。

 それは、長崎駅の初めての出会いから、時々出会う度に私でもひしひしと感じられた。

 

 それとともに菊池さんの手話表現は、伸びやかで天に手をさしのべると言っていいほどの「表現」にも表れていた。