(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
際限ない 手話をことばや文字に
置き換えることの困難さ
表現された手話をことばや文字に置き換えることの困難さは以上のことひとつ考えても際限ない。
だから少なくない人はこのことを避けて、手話とはとさもさも解った言い方をする。
また多の引用で権威づけようとする。
連載中何度も書いたが絵とマッチさせながら手話証言を受け止めることがある。
「盗んだいうてまっやろ」
今では私にとって遠い昔の記憶になったが、警察の取り調べ室のようすが浮かび上がってくる。
未就学のろうあ者。
少しばかりの身振りは出来ても文字も読めないし、もちろん文字は書けない。
廃品回収をしていた細々と生きていたらしい。
彼は、窃盗の容疑で捕まった。
取調官はくり返し、人差し指を鍵型に曲げて、「ぬすんだんやろ」「盗もうとしたんやろ」と言う。
彼は、取調官のする通り指を曲げる仕草を繰り返す。
「盗んだいうてまっやろ」
と取調官は手話通訳に行った私に顔を向ける。
手話で話しかけても彼には何の「応答もない」。
簡単な手話なら少し経てばくり返して覚えるが、それは手話の意味が分かっていることでないことは明らかだった。
今からでも遅くない… 学習する機会を
彼の反復動作から学習能力が豊富にあることは推測された。
なぜ彼は学習する機会を逸したのだろうか。
学習が保障されなかったんだろうか。
今からでも遅くない……。
そんなことばかりが瞬時に頭を駆けめぐった。
1960年代には、このようなことで手話通訳が警察から呼ばれることもよくあった。
でも、盗もうとした、盗んだ、となるとこれは大変なことになる。