手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
2. 公的保障とは
「公的保障とは何か」ということにっいて各県の現状説明や問題提起と関連しながら討論されたが, 結論を出すことは, 難しい状態であった。
しかし,討論の内容をまとめてみると, 公、の解釈によって次の二つにまとめることができた。
手話通訳の将来の空想と
現実の手話通訳保障
第一としてあげられたのは,
「国民全員が手話ができるようになるのが公的保障である。」
ということである。
手話通訳者とは, ろうあ者と健聴者のコミュニケーションが成立しない時, それに加わり, コミュニケーションを可能にしているのであるが, ろうあ者が心から願つているのは, 国民誰れもが容易に手話を使えるようになり,通訳者がいなくとも,健聴者とのコミュニケーションが確保されることである。という発言が函館や東京からあった。
これについて助言者からは, 国民一人一人が手話を覚え,使えるようになることは空想である。
手話をひろめるという課題は重要であり, 努力する必要はあるが. このことがろうあ者の手話通訳の保障ということに単純に関係づけることは, 今日的な課題である手話通訳の意義を十分とらまえていない。という話があり, この問題については、もっと考える必要があるという意見が出された。
手話通訳者を設置
地方自治体の最低の責任
第二としてあげられたのは,
「地方自治体の最低の責任として手話通訳者を設置することが公的保障である。」
ということである。
このことについては, 現在各県で, 公的な場所に手話通訳者を設置させる連動が盛んに行なわれているため,その必要性とか活発な意見のやりとりがおこなわれた。
現在, 公的な場所に常動手話通訳者が設置されている県は, 東京-京都・静岡など十数県だけである。
そして,残りの県はポランティアに頼つているのが現状であり, ろうあ者の聞く権利はほとんど保障されていないのである。
ろうあ者と通訳者だけで
解決することはできないろうあ問題
社会の中でハンディを持つている人は. 社会が、また行政が保障していかなければならない。
ろうあ問題は、ろうあ者と通訳者だけで解決することはできない。
行政と一体になって解決する必要がある。
そのためには, 地方自治体は. 善意の奉仕に頼つているのではなく, 積極的に行政の中に手話通訳者を取り入れる必要があり, 我々は、これを強力に押し進めていかなければならないということが, 静岡・山口県などから出された意見によって確認することができた。
しかし, 通訳者が認められたということは, それで, すぺてが解決されたということではなく, ろうあ者問題が、やっと行政の中に取りあげられたということを明白にしておかなければならない。
そしてまた, 手話通訳者が設置されていると言われながらも、70%位は他の身障者の
仕事をし、30 %位が通訳活動にあてられているという現状があるということからみて, 通訳者が公的機関に採用されたということは, イコール公的保障がされたということでもない。 という話が助言者からあった。
多数の考えがあり
まとめる事はできなかった手話通訳の公的保障
「公的保障とは何か」 ということで討論された訳であるが, 基本的理念のとらえ方によって多数の考えがあり一つにまとめる事はできず、また時間の関係上十分討論することができず, 今後の課題として各県に持ち帰られた。