手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
有能な手話の先生やろうあ者の指導者
献身的な手話の奉仕者でない手話通訳
第6回全国手話通訳者会議基調報告 聴覚障書者をめぐる情勢の特徴!!(その4)
手話通訳活動のひろがり
ろうあ運動の民主的・組織的な強化とひろがりは必然的にこれを推進する体制が求められます。
ここにろうあ運動の実践を具体的におしすすめる手だてを果す役割としての手話通訳が重要で切実な課題となります。
しかし、これは、従来までのような、有能な手話の先生やろうあ者の指導者でもなければ献身的な手話の奉仕者であってもなりません。
手話通訳者が個人として活動する
のみならず集団的にとりくまねばならない
最もろうあ者の身近にあって、手話の理解者でありろうあ問題の理解者であり、同じ働く者として連帯できる健聴者でなければならないのです。
しかも、 それらの人たちが個人として活動するのみならず集団的にとりくまねばならないことも全国会議5回までの歩みの中で確認されています。
今会議でさらに新しい発展のための 「ふしづくり」 をするためこれまでの通訳活動のひろまりをふりかえってみましょう。
手話通訳者個人や集団に新たな矛盾や課題
ろうあ者の手話通訳要求を実現する芽は1963年、京都において、手話学習会みみずくにおいて働く青年が中心に「手話を学びろうあ者の友となり、共に手をっなぃで差別や偏見のない社会と実現する」 というよびかのもとに結集し、集団的な手話学習がろうあ者との連帯する中でとりくまれていったのです。
それが、京都府・市という民主府・市政の条件のもとでろうあ運動の民主的発展を背景に根づいていきその影響は全国各地に広まりました。
こうした健聴者の積極的な手話学習や通訳活動がとりくまれても必ずしも着実に成果には結びつかず実践活動に参加する個人や集団に新たな矛盾や課題が提起されたのです。
手話はろうあ運動の前進
健聴者との連帯の中においてこそ発展
1968年6 月、私たち手話通訳運動の歴史的な歩みの第一歩を福島県でふみだしました。
その当時すでに自主的な手話サークルが11ヶ所、 参加者75名が結集し、手話学習や通訳活動における基本的な理念のあり方を追求しました。
ここで確認されたことは、手話はろうあ運動の前進になくてはならないものであり、 さらに健聴者との連帯の中においてこそ発展するということでした。
この具体的な成果は、その年の参議院選挙で全国の主要都市のほとんどにおいて手話通訳付の立会演説会を実現させています。
この成果はさらに全国各地の地方自治体で引続き運動化され、 自治省通達をださせるまでに至つたのです。
手話通訳が地方自治体にゆだねられ
手話通訳者の不充分な身分保障
第2回の熊本や第3回東京手話通訳者会議では、さらに多くふくれ上がった手話・サークルの自主的活動のあり方やろうあ者との連帯や不団結、通訳活動の専門領域など多くの実践課題のとりくみが深められ、手話通訳の公的保障が具体的に地方自治体に広まっていったのです。
しかし、現実には、 国のろうあ者施策の不備から手話通訳の公的保障をすすめることは、地方自治体の独自施策にゆだねられ、不充分な身分保障でろうあ者の要求がささえられねばならないという矛盾も大きく広がりました。
私たちはこ う した矛盾をろうあ者の主体的な連動の中に提起し、共通の課題として発展させるよう努力してきました。