手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

忘れるなかれ優生保護の不妊手術などの不当と闘ったろうあ協会の歴史 自分の希望で子供を生むことすら出来ないろうあ者の悲痛な要求と惨い回答へ反撃

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手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 1969年9月8日。京都。

 京都府庁で働く人々へろうあ協会が心を込めて配ったビラ。

 

 京都府の積極的な姿勢を
     期待していたのに

 

 ビラには次のような事が書かれていた。

 

 

 私たちは、8月30日。
 京都府社会課を中心とした福祉関係者との交渉を持ちました。

 

 その目的は、今度、私たちの努力と京都市の援助によって発足の運びとなった、京都ろうあセンターの運営に関し、府の責任と方針を明確にし、併せて、私たちの日常の生活に欠くことのできない、手話通訳制度の確立をはかるものでした。

 

 蜷川知事は、基本的に私たちの要求を支持しておられます。

 

 このことによってよって私たちは、府の積極的な姿勢を期待しておりました。

 

「障害児者の発生予防を重視する」

     という発言
障害者の生きる権利

 

 しかし、社会課の解答は、私たちの要求について京都府社会福祉対策協議会の答申待ちという、誠意のないものであるだけでなく、福対協事務局長から次のような私たちにとって見すごすことの出来ない誤った差別的見解の表明をうけました。

 

 蜷川知事は、身体障害者対策の確立をはかるために、京都府社会福祉対策協議会を設置されました。

 これは、私たちにとって大切な要求を反映させる拠点として評価しております。

 

 しかし、府交渉の席上で、当の福対協の事務局は、私たちの切実な要求の答えて、「障害児者の発生予防を重視する」という発言を行いました。

 

「その通り子供を生まさせない対策を考えている」という冷酷な答えになる

 

 これでは、身体障害者に対する社会保障が十分にととのっていない今の状況と社会的偏見と、結婚してもまだ親の経済的援助にたよらねば生活していけない低賃金の中で、自分の希望で子供を生むことすら出来ないろうあ者の悲痛な要求に対して、

 

「その通り子供を生まさせない対策を考えている」

 

という冷酷な答えになりかねません。

 

現実をしっかりと認識し

その根源を受けとめるなら
 障害者に対して

 「子供を生むな」

 ということになるはずがない


 沖縄の風疹障害児のことは、新聞・テレビでよくご存じのこととおもいます。

 

 真の障害者の発生予防は、今日の職場合理化から生まれる労働災害精神障害・ノイローゼ・交通事故・サリドマイド渦・公害など社会矛盾によって障害者が日々作られているという現実をしっかりと認識し、その根源をうけとめ対策を立て府民のくらしと健康を守っていくことであって、当の被害者である障害者に対して「子供を生むな」ということになるはずがありません。

 

 

 

忘れるなかれ優生保護の不妊手術などの不当と闘ったろうあ協会の歴史 障害者が産まれないよう、への批判ばかりではなくともに生きがいのある生活をしようと呼びかけ

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手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  人々の姿が陽炎に見える早朝 京都府庁
 

 秋口と言っても京都の9月は大地から灼熱が立ち込める。

 

 その熱は、夜をくぐり抜けても朝になっても消えることはない。
 
 人々の姿が陽炎に見える早朝。

 

  集合時間よりも1時間以上も早く続々とろうあ者かが京都府庁に集まってきた。
 

京都府職員みなさんへ

 

 それぞれ京都府庁の入り口の4カ所に別れて、ろうあ協会のビラをもつ。

 

 「生きがいのある障害者の暮らしをきずくために 障害者の要求にこたえた京都府政をさらに発展させよう。社団法人京都府ろうあ協会」

 

というタイトルで「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」への批判ばかりではなくともに生きがいのある生活をしようと呼びかけ京都府職員みなさんへというビラである。

 

ろうあ協会の仲間に

手話・口話・空文字などなどで説明された
   1500枚を超えたビラ

 

 夜を徹して印刷されたビラは、1500枚を超えインキも充分乾ききっていなかった。

 

 各4カ所では、それぞれビラの中身がろうあ協会の仲間に手話・口話・空文字などなどで説明された。ウンウン、ソウソウ、みんな満足していた。

 

 集まったのはろうあ協会役員だけでない。

 

 主婦、青年、そして遅刻すると賃金カット、皆勤手当ゼロを覚悟したろうあ者もおかまいなしに参加した。

 

「遅刻したらお金減るやんか。」

 

「カマヘン、カマヘン」

 

「遅刻認められたん?」

 

「課長がカンカンになっている様子やったけど、今日はマカせて。」

 

 みんな真剣だったが初めての経験。

 

 不安で眠れず、複雑な気持ちは、共通していた。

 

あー読んでくれている
 もっとください

  出張に出ていない人にも渡します

 
 京都府職員は、府庁の正門からやってくるとは限らない。4カ所の入り口から入ってくると事前の調査で分かっていた。

 

 ひとり、ふたり、と京都府職員が京都府庁にやってくる。

 

 ろうあ者は必死になって駆け寄り、受け取ってもらえると大喜びした。

 

 「あー読んでくれている。」

 

 たちまちろうあ者は笑顔になった。
 
 続々とやってくる府職員に、だれひとり渡せないことがあってはいけないとろうあ者は必死だった。
 
 どどっとおしよせる府職員。必死になって頭を下げてビラを手渡すろうあ者。
 
 一度、府庁に入った職員が駆け込んできた。
 
「もっとください、出張に出ていない人にも渡しますから」

 

との申し入れだった。

 

 ろうあ者は、手話で合図をしながら大喜び。

 

 時間はあっという間に去り、みんなは仕事場に駆け出だしていった。

 

 

障害者抹殺思想と改めさせる 優生保護の不妊手術などの不当さと闘ったろうあ協会の歴史

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに    
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」と言い切る京都府幹部が交渉を打ち切り席を立った後。

 

 会場を整理する京都府職員に対して、ろうあ者は、ただ単に「ご苦労さんです」と手話で挨拶して京都府職員と帰路についたわけではない。

 

 会場整理は私の仕事ですから、という京都府職員にろうあ協会全員は、机や椅子を片付け会場を清掃した。

 

それになぁ、あの人
交渉の記録をとりながら涙を

 

 あの人(京都府職員)も私たちも働いていることは一緒。

 

 一人で後片付けすると深夜になる。

 

 みんなも早く帰りたい、という気持ちは同じだけれどみんなで協力して会場整理すればあの人(京都府職員)も一緒に帰れるやん。

 

 「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」と言い切る京都府幹部の話と憤慨と混乱があったけれをすべての京都府職員がそうだと決めつけたり、思い込まないで、ともに働く仲間として考えるろうあ者の人々から学んだことは多い。

 

  それになぁ、あの人(京都府職員)交渉の記録をとりながら涙をポトリ、ポトリと落としてはった。

 

 私らの気持ちが、充分わかってくれてはるのや!!そうやそうや、という話が出てきた。

 

  障害者が産まれないよう、にするのが基本
  京都ろうあ協会の役員は
  深夜を越す論議の結果一つの行動を

 

 ろうあ協会役員は、交渉の中で「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」という京都府幹部の重大発言をめぐり、その後京都ろうあ協会の役員はろうあセンターに集まり深夜を越す論議が続き、一つの行動をすることで一致した。

 

 731部隊の残虐行為を行った医師たちが

戦後の医学界で権威を持って大きな影響を

 

 「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」とする考えは、京都の医者の考えにもあった。

 

 障害者が病院に行ってもそれだけで、けんもほろろに言われることもあったし、障害者の状況を改善する治療などはまったく受け入れないこともしばしばあった。

 

  この背景には、戦後の京都の医療関係者に近年明らかにされつつある中国における731部隊の関係者の大きな影響があったと推定される。

 

人体実験などの残虐行為で
   医学界の権威に

 

 満州七三一部隊は、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関、そのために人体実験や生物兵器の実戦的使用を行っていたとされている。

 

 人体実験を主導した「医学者たち」は、終戦直後ソ連中国東北部への侵攻前に、特別列車でいち早く日本に帰国して、戦後、その行為について罪に問われることはなく医学界に君臨した。

 

 特に京都は、その中心メンバーが多くいたとされている。

 

 アメリカは人体実験のデータ提供と引き替えに、隊員の責任を免除した。

 

障害者は生きる価値がない
 このことへの果敢な闘いの

    準備をしたろうあ協会

 

 だから京都のすべての医者ではないが、「障害者は生きる価値がない」として障害者抹殺思想を持つ医学研究者や医者がいたとも言える。

 

 これへの果敢な闘いがろうあ協会にも要求されていたのである。

 

 このことは、過去のことではなく今もあると言わざるを得ない。

 

劣性な人間は抹殺する 不妊手術をする 優生な人間は優遇する

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手話を知らない人も

                   手話を学んでいる人もともに

{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

優生保護の考えの根底には

 

 優生保護の考えの根底には、優生、劣性などを一面的な科学という名のもとに人間評価が加えられ、優生なる人間は生かし、優遇して育てる。

 

 劣性な人間は抹殺する、不妊手術をする。

 

とする考えが、アメリカではじまり、それがファシズム台頭のドイツの行政予算削減と結びついて国家として多くの人々に強制的に断種手術が行われたこととはあまりにも有名である。

 

 劣性の人間は、絶滅させるが、優生な人間は優遇するという考えや対策は「否定」されたかのようにみえるが、今日まで綿々と生き続けているとも言える。 

 

幼い子どもを抱っこして
京都府教委との交渉に参加したろうあ者が

 

「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」と言い切る京都府幹部に駆け寄り詰め寄るろうあ者の怒りは、多くの困難をみんなで支え合い乗り越えて来たから行動し、怒りを表現し、発言できたのだ。

 

 幼い子どもを抱っこして京都府教委との交渉に参加したろうあ者が、「この子が産まれてうれしいし、喜んでいる。そうじゃないというの。」などと言う姿に参加者は、悔し涙とともに全員が拍手を送り続けた。

 

 公の場で、みんながいる所で、胸を張って堂々と言える処までろうあ協会の取り組みは人間尊重の精神を広げてきたのである。

 

ろうあ者は詰め寄り
 京都府幹部は

「帰らせてください。」ばかりを言う

 

 次々と留まることのないろうあ者の発言に京都府の幹部は、青ざめて俯いたまま。

 

 ろうあ者は、手を挙げ発言し、発言はとどまることはなかった。

 

 騒然とした状況の中で長時間の交渉は時間切れとなったが、引き上げる京都府の幹部にろうあ者は詰め寄って、幹部は「帰らせてください。」ばかりを言った。

 

 ろうあ者の怒りは収まることはなかったが、会場の後片付けは冷静だった。

 

 いつものように残って会場整理をする京都府職員と「ご苦労さんです」と手話で挨拶して京都府職員と身振り手振りで話をしながら深夜の京都の街へ一緒に行った。

 

結婚に大反対 結婚して生まれた子どもがこの子だ !! と胸をはる 優生保護の不妊手術などの不当さと闘ったろうあ協会の歴史

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手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 障害者福祉の対策は
 障害者が産まれないようにするのが基本
 
 京都府などとの行政への「おねがいから」大きく変わり、要求を出してその要求を実現するためのろうあ者の要求は野火の如くひろがった1960年代後半から1970年代初頭にかけて交渉の中で重大問題が明るみになった。

 

 京都府の幹部との交渉で交渉の中で、

 

京都府の総合的な対策を確立するため、京都府社会福祉対策協議会なる知事の諮問機関が作られている。」

 

 その京都府社会福祉対策協議会事務局長が、

 

「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」

 

と主張し続けた。

 

 そのため会場は手話の嵐と机や壁を叩くもので騒然となった。

 

あまりにも苦しかった

 過去が怒濤のように押し寄せて

 

 机を叩きながら泣き出すろうあ者。

 

 産まれてきたことや産むことが禁じられて来たことやそれまでのあまりにも苦しかった過去が怒濤のように押し寄せてきたからである。

 

 行政のトップに立つ、しかも京都府社会福祉対策協議会というこれからの福祉の基本方向を決める中心人物のことば。

 

 ろうあ者の怒りと失望は消えることはなかった。

 

結婚に大反対されて
それでも結婚して

   生まれた子どもがこの子だ

 

 結婚に大反対されて、それでも結婚して生まれた子どもがこの子だ この子を産んだのが間違いというのか!!

 

 ろうあ者は大声を出して手話で発言したが、声が「鮮明」でないため手話通訳者はろうあ者の声のトーンに合わせて大声を出しながら手話通訳した。

 

「私たちに対する、あやまった偏見を助長するものだ。」

 

「障害者は結婚するなというのか。」

 

「私は、結婚に大反対されて、それでも結婚して生まれた子どもがこの子だ。この子を産んだのが間違いというのか。」

 

「この子が産まれてうれしいし、喜んでいる。そうじゃないというの。」

 

「障害のある人がナゼ産まれるのかという社会的背景をまったくぬきにしている。」

 

「障害児者が産まれなかったら、産まれないようにしたら社会福祉は不必要になると言うことなのか。」

 

「障害者が生きる喜びを持てるようにして、そのことをもっと社会に知らしていかなければならないのではないか。」

 

「そういうことを京都府がしてこそ、障害者と多くの府民が手をつなげる。それを分断するようなことを京都府がするのか。」

 

「知事は、ろうあ者のみなさんが本当に生きがいのある社会にするようこれはお約束すると言ったではないか。」

 

「あなたたちに言うようなことで、生きがいなんてどうして出るの。」

 

「生きがいと、産むな、と言うことはまったく対立する。」

 

抗議の嵐が交渉の場に吹き荒れた。

 

優生保護法 忘れてならない優生保護法の不当と闘ったろうあ協会の歴史

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手話を知らない人も

                    手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

優生保護法による不妊手術を
マスメディアで取り上げられているが

 

 2018年頃を前後して優生保護法による不妊手術がマスメディアで取り上げられている。

 

 そして、

 

「旧優生保護法(1948~96年)下で障害者らへの不妊手術が繰り返された問題で、聴覚障害のある福岡県内の男性が国家賠償を求めて年内にも福岡地裁に提訴する準備を進めている。福岡県聴覚障害者協会への取材で13日分かった。同協会によると、福岡市内の80代の男性が望まない不妊手術を受けたとみられ、手術を受けた可能性がある他の約10人にも事情を聴いており集団提訴となる見通し。この問題で聴覚障害者による提訴の動きが明らかになるのは初めて。」

 

「全日本ろうあ連盟(東京)の全国調査に伴い、同協会が今年3月から実態調査している。子どものいない高齢夫婦ら約100人を中心に5月下旬まで調査し、弁護士と相談して提訴する方針。」毎日新聞  4/13(金)

 

などが、報道されている。

 

 このことでは「手話と手話通訳」の(「断種手術」がされたことを知らないで ろうあ者は)項断種手術のことを掲載してきた。

 

  手話 優生保護法による不妊手術

 

 当時、手話で優生保護法による不妊手術は、

 

人差し指と中指ではさみを現し、それを閉じることで切る。

 

それを両手で下腹部で同時に行う。

 

 すなわち、卵管や精管を左右とも切るという意味合いで手話表現されていた。

 

優生保護法による不妊手術に対して
その不当性と非人間性を改めさせ
人間が生きることの意味を問いかけた闘い

 

 全日本ろうあ連盟が全国調査を行い、提訴する、とされているが、この「卵管や精管を左右とも切る、断種手術が行われたろうあ者や障害者のほとんどが亡くなられている」のでその全容を把握することは極めて困難だろうと思える。

 

 哀しみに塗る重ねられた過去の歴史を今振り返ることは、戦争と平和基本的人権などなど人間であることのすべてを知りうることで極めて重要であると思う。

 

 だがしかし、優生保護法による不妊手術に対して、その不当性と非人間性を改めさせ人間が生きることの意味を問いかけ、行政を大きく揺るがし、改めさせてきたろうあ協会の血みどろの闘いを忘れてはならないと思う。

 

 以下、緊急にこのことを述べてゆきたい。

 

優れた 宇治市手話言語条例 手話だけと捉えない

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手話を知らない人も

          手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  右腕が奪い去られた青年は、京都府身体障害者スポーツ大会から全国大会に出て、金メダルを持って帰ってきた。

 

 宇治市長への報告をする表情は、金メダル以上にまぶしかったが、その輝きに寂しさを感じざるを得なかった。

 

 福祉と労働の問題を絶えず突きつけられて

 

 それ以降、全国大会で知り合った障害者とともに障害者団体の集まりには青年の姿がいつもあった。

 

  腕をもぎちぎられた青年の姿を見る度に、福祉と労働の問題を絶えず突きつけられてきた。

 

 労働災害害補償。すなわち大企業の労務担当者は、青年のもぎちぎられた腕を労働に起因するのに労災補償をしないことで大企業の責任を免れようとした。

 

 労働災害補償では、本人の治療補償や休業補償はもちろん休業補償もあった。

 

 もちろんその補償や内容はともかくとしても労働災害補償に基づく障害年金も支給された。

 

 労働災害補償に基づく障害年金の金額は、障害年金よりも多かった。

 

安全管理体制の問題を

「隠す」ことは許されない
 福祉の分野で事を対応するという体質

 

 労働災害で障害者になったのに障害者手帳の申請と厚生年金の障害年金で事を済ませて、企業の安全管理体制の問題を「隠す」体質は許されないものがあった。

 

 市が誘致した大企業だから福祉の分野で事を対応するという体質が福祉の分野であった。

 

 この重大な問題は、現在までに到っても「放置」されているように思えてならない。

 

 長時間労働。過労死。労災隠し。底流に流れる事とそれをなくそうとする鬩ぎ合いは今日までも続いている。

 

宇治市手話言語条例を
単に手話だけの問題としてではなく

 

 障害者団体の集いは、青年を元気づけたが、「田舎の田舎の中学校をでて、うちの会社に入ったばかりやからからなにも知らんからな。」と本人が知らないことをいいことに、問題を隠すことは結局、宇治市手話言語条例を単に手話だけの問題としてではなく

 

「生活を営むために欠かすことのできない意思疎通を図るための手段」

 

国際連合で採択された障害者の権利に関する条約」

 

「障害のある人もない人も相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現を」

 

「相互に人格と個性を尊重することを基本理念として」

 

 などのことを包括した事として捉えていかなければならないこととして提起されている。