手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
人々の姿が陽炎に見える早朝 京都府庁で
秋口と言っても京都の9月は大地から灼熱が立ち込める。
その熱は、夜をくぐり抜けても朝になっても消えることはない。
人々の姿が陽炎に見える早朝。
集合時間よりも1時間以上も早く続々とろうあ者かが京都府庁に集まってきた。
京都府職員みなさんへ
それぞれ京都府庁の入り口の4カ所に別れて、ろうあ協会のビラをもつ。
「生きがいのある障害者の暮らしをきずくために 障害者の要求にこたえた京都府政をさらに発展させよう。社団法人京都府ろうあ協会」
というタイトルで「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」への批判ばかりではなくともに生きがいのある生活をしようと呼びかけ京都府職員みなさんへというビラである。
ろうあ協会の仲間に
手話・口話・空文字などなどで説明された
1500枚を超えたビラ
夜を徹して印刷されたビラは、1500枚を超えインキも充分乾ききっていなかった。
各4カ所では、それぞれビラの中身がろうあ協会の仲間に手話・口話・空文字などなどで説明された。ウンウン、ソウソウ、みんな満足していた。
集まったのはろうあ協会役員だけでない。
主婦、青年、そして遅刻すると賃金カット、皆勤手当ゼロを覚悟したろうあ者もおかまいなしに参加した。
「遅刻したらお金減るやんか。」
「カマヘン、カマヘン」
「遅刻認められたん?」
「課長がカンカンになっている様子やったけど、今日はマカせて。」
みんな真剣だったが初めての経験。
不安で眠れず、複雑な気持ちは、共通していた。
あー読んでくれている
もっとください
出張に出ていない人にも渡します
京都府職員は、府庁の正門からやってくるとは限らない。4カ所の入り口から入ってくると事前の調査で分かっていた。
ろうあ者は必死になって駆け寄り、受け取ってもらえると大喜びした。
「あー読んでくれている。」
たちまちろうあ者は笑顔になった。
続々とやってくる府職員に、だれひとり渡せないことがあってはいけないとろうあ者は必死だった。
どどっとおしよせる府職員。必死になって頭を下げてビラを手渡すろうあ者。
一度、府庁に入った職員が駆け込んできた。
「もっとください、出張に出ていない人にも渡しますから」
との申し入れだった。
ろうあ者は、手話で合図をしながら大喜び。
時間はあっという間に去り、みんなは仕事場に駆け出だしていった。