(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて。
幼い頃から奈良、京都の古都を散策した。
特に奈良は、人々から見返りもされないような寂れた印象だけが残っている。
神社仏閣を見て回ったのだが、別に仏教に凝ることもなく、それぞれの建築物や彫刻を時には、抹香臭いものだ、と思いつつも何気なしに目に留めていた。
でも、何かしら心惹かれる建築物や彫刻があったことも事実。
なぜ自分の心を惹き付けたのだろうかと今頃の歳になって考えるときがある。
阿修羅像。
私が惹き付けられてやまない像が奈良のある寺院にある。今ではあまりにも有名すぎて厳重に保管されてしまっているが、昔はそうではなかった。
埃まみれの阿修羅像はどんな角度からも観ることが出来た。
その像に彫り込まれた表情が、今、なぜか松井さんの写真の表情と重なり合って迫ってくる。
仏像彫刻や奈良時代を論じないが、彫刻などを通じて表現し、後世に伝えたかったコミニュケーションが仏像彫刻などに見られると思う。
それと共通するものが、松井さんのコミニュケーションに流れていると思えてならない。
感じ 見たことの全てを凝縮し
象徴化して再現する事も
また無限の可能性が手話
手話と呼ばれている表現が、単に手の動きや腕の動き、全身の動きでないことを松井さんは改めて私たちに語りかけてくれている。
手話は、聞こえない人々が感じ、観た程度に応じて、創意・工夫されて変化するだけでなく、感じ、見たことの全てを凝縮し、一点に象徴化して再現する事もまた可能であることを身をもって教えてくれている。
そればかりか、戦争の残虐さと平和を切に願う慈愛のすべてを籠めて、一こまの手話表現でも示すことが出来ると暗示してくれる。
一見相反する矛盾を見事にまとめ上げた手話表現。
私にとって、一こまの写真だけでもそれ程感じるのに、なおそれを圧して連続して注視して記録されている。
被爆直後3時間余娘さんを
抱きかかえて隠れ続けた刻み込まれた時
松井さんは被爆直後3時間余娘さんを抱きかかえて隠れ続けた。
原爆投下の耐え難い衝撃からの回避であったと考えられるが、私はもう一つのことをも考えてしまうう。
松井さんが耐えた時間は、聞こえない人々にとってひたすら我慢と耐えることで時間が過ぎるのを待つしかなかった時代の反映でもあったと。
松井さんたちと同時代に生きた聞こえない人々にとっては、生活そのもので「あきらめ」を余儀なくさせられていた。
「あきらめ」と共に時間が過ぎ去っていったのではないか、と考えざるを得ないことの事例があまりにも多い。
だから私は、松井さんが説明する「時間の概念」に私の考えを混在させてしまうのかも知れない。
予測できない「大嫌い」の「大」の動き
39歳で被爆。
松井トクさん72歳の時の夫の死。
80歳になった時に被爆体験を証言。
「とても幸せ」
「平和がだいすき」
と言う「だい」の手話がそれまでの被爆証言の手話表現の中で「最大の手の動き」であっただろうと推測出来る。
それは単に推測にとどまらないだろうという確信がある。
「平和がだいすき」「原爆大嫌い」とひらがなと漢字の使い分けをしている長崎の人々の手話への洞察と文字変換の見事さに喚起させられる。
しかし、「大嫌い」の「大」の動きは予測できない。