手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
汁。
おつゆ。
おつゆを飲む。
「一汁一菜」などなどの言葉があるが、日本の食卓には、汁ものは欠かせなかった。この汁ー京都ではしばしば「おつゆ」と言われたが、左側は器を手話表現して、右側でそれを飲むしぐさをして、汁としているが、お汁を飲む、という手話表現と同じである。
この写真の表現では、器を大きくして吞みほす手話表現であるが、貧しい時代はおかずもご飯もなく、汁で腹を満たした、と明石欣造さんは言う。
豪快に吞んでいるのではなく、少し憂いのある表情をしているのはそのためだろう。
表情からそれが読み取れるから、手話表現は無限の広がりと無限の表現方法があるのだろう。
りんご。
赤ちゃんや子どもは、寒くなるとほっぺが赤くなる。昔はみんなそうだった。幼い頃は、皮膚が非常に薄いため、血管が拡張して血管の赤さがハッキリと現れるものだが、暖房対策が整った今日では、あまり見かけなくなっている。
木枯らしの吹く寒い中で、遊び回っている子どもたちのほっぺが赤くなっている様子を「リンゴのようなほっぺ」と人々はよく言った。
写真ではわかりにくいが、ほっぺたに人差し指で丸を画く手話で、(赤いほっぺ)りんごの手話表現をしている。
多くの人々が言っていた「リンゴのようなほっぺの子ども」を掛け合わせた手話表現である。
大根。
左の写真から順に、白・大根の葉っぱ(右手を広げて葉っぱ・左手の人差し指と親指で太さや大きさ。)・大根の根っこの端 と三動作で大根を表している。
京野菜にの大根にはもっといろいろな種類があるがそれらも手指の微妙な動きや上下関係で表現される。
例 聖護院大根・淀大根などなど。
この大根では、白を歯の白さではなく、すでに述べた白粉のような白さで表現されている。