手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
私と大矢さんとの間で「ワンワン物語り」として、あとあとお互いの理解の基本を確認した「手話と手話通訳やきこえることやきこえないことの教科書」を紹介する。
聞こえる人が私をいじめ
自転車はパンクさせられ
屋根のテレビのアンテナが壊される
ある日、ろうあ者のCさんが自転車に乗って京都ろうあセンタのろうあ者相談員だった大矢さんの所にやってきた。
「聞こえる人が私をいじめて困る。」
「自転車はパンクさせられるし、屋根のテレビのアンテナが壊される。」
「おまけに私の愛犬まで、うるさい、と言っていじめる。」
などなどの積もり積もった話であった。
話をじっくり聞いた大矢さんはカンカンになって怒り、Cさんの家を訪ねてその様子を調べてきて、あまりにも聞こえる人がひどいことをする、と私に言った。
少し 首をかしげると
あなたが聞こえるから軽く考えている
そこで少し、首をかしげると大矢さんは私にくってかかってきて、Cさんの聞こえないという苦しみの気持ちが分かっていない、Cさんの立場に立って考えていない。
終いには、「あなたが聞こえるから軽く考えているのだ」とまで言い出した。
そのため腹を立てて「なにを言う」とケンカになった。
どちらも引くに引けない激しい言い合い。
もちろん手話やことばでも。
争いで疲れ切った末
この頃の大矢さんには、京都ろう学校時代の「授業拒否事件」のリーダーだったプライドもあったのだろう。
「聞こえるから軽く考えているのだ」という言葉は、しばしば発せられた。
この頃から私は、京都ろう学校時代の「授業拒否事件」について詳細な資料と当事者への聞き込みをはじめた。
争いで疲れ切った末に「ともかくCさんの家にもう一度行こう」ということになった。
一間の間口の狭い通路を通って
京の長屋は、一間(いっけん)の間口の狭い通路を通って、その奥に家が立ち並んでいた。家賃は、安かった。
最近、残り少なくなった一間の通路の奥の家がわずかに残っているのを見るとその度にCさんばかりか、多くの貧しく慎ましく生きた人々を思い出す。