手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
Dさんたちにとって転居するにしても金が必要だがまったくない。
そこで、今までDさんは何度も「このまま住まわせてもらえないか」と家主に話しかけても相手にもされなかった。
私たち三人で、何度も家主に話したが、返事は変わることはなかった。
給料を上げてもらうしかない
そうなれば、転居するためにDさんの給料を上げてもらうしかない、ということになった。
Dさんも三十数年以上ほとんど変わらない給料を少しでも上げてほしい、という切実な気持ちを持ち続けていたから、喜んで、大きな店を構える京傘商店の親方を訪ねた。
誰のおかげで
おまえのような奴を雇ってやった
美しく艶やかで繊細な京傘。
それらのほとんどをDさんがつくっていた。
京傘商店の親方に
「家を追い出されるので、給料を少しでも上げてもらえないか」
という話を切り出すと、話どころではなくなってしまった。
「誰のおかげで、おまえのような奴を雇ってやったと思うのだ。」
「なに、給料だと、出してもらっているだけでもありがたいと思え。」
「お前のようなろうあは、だれが雇うと言うのや」
「頼まれたから、使ってやっているのにその恩もわからんのか。」
と親方は怒り、怒鳴りちらし、手当たり次第に物をを投げてきた。
怒鳴りちらし物を投げてきたが
もちろん、Dさんをめがけて投げるが、私たちにも傘の柄や道具が飛んできた。
もう話し合いどころではなかった。
それでも、Dさんの手話通訳をした。すると、怒鳴りは一層高まり、ものを投げてきた。
「お前がなんで言うんや」
「黙っとれ」。
しかし、Dさんのことを思ってひたすら耐え続けた。