手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
ある日。K身体障害者相談員が宇治市福祉事務所にやってきて、ある夫婦が非常に困っているが、なにが、どのように困っているか、解らないから話を聞いてくれないか、と言ってきた。
福祉の係長は、「行くように」とは言うけれど、なにがどうか、解らないままその夫婦の住宅を尋ねた。
「ひどい目」に合うのではないか
と恐れて身動きしなかった
何度も行ったが、ドアは閉じられたままで夕方に行ったら灯りがついているものの、なんに返答もなかった。
数回繰り返した頃に、ようやくドアーを開けてくれた。
ずっーと後になって知ったのは、人が来るたびにまた「ひどい目」に合うのではないかと恐れて身動きしなかったとのこと。
ご主人が、勇気を出してドアののぞき穴から見たら市の制服を着た人だったから開けたと言うことだった。
知らない人へは、極端に警戒心を持ってしまった夫婦の気持ちは痛いほどわかったが、その時は事情を知らないだけに「なぜ、ドアを開けてくれないのだろうか。」とばかり思っていた。
置かれた一枚の保険証書
ドアを開けて、案内された部屋のちゃぶ台には、一枚の保険証書が置かれ、奥さんはすごい勢いで声と身振り手振りで話しかけてきた。
その横でご主人は正座をして小さくなっていた。
隣には、子どもさんがいるようだが、コトリ、との音もしなかった。
奥さんの声は出ているが、ことばとしても聞き取れないし、身振り手振りからもなにを必死に伝えようとしているのかも解らなかった。
ともかく、顔は怒りに満ちているのは解った。
頭を抱え込んだ私を見たのだろうか、ご主人が何とか奥さんをなだめている様子が見えた。
これが
どうしたというのだろうか
二人とも学校に行っていない未就学のろう者であったが、聞き出す手がかりが、見いだせない。
時間だけが、刻々と過ぎ去って行った。
目の前に置かれている証書は、保険証書だった。
これが、どうしたというのだろうか、考え込んでいた。