手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介
京都ろうあセンターは、社団法人京都府ろうあ協会の事業として出発した。
京都ろうあセンター館長は
自ら先頭を切って連日寄付集め
京都ろうあセンターの最高責任者である館長は、故明石欣造氏であった。
京都ろうあセンターという名称から考えて、所長とすべきであるが、館長という名称。
これは、ろうあ会館を建て欲しいという切実なねがいの延長線上としての館長という名称にされたのであって、長くこの名称は変えられなかった。
京都ろうあセンター館長は、自ら先頭を切って京都ろうあセンター後援会という名称で連日寄付集めに回り、ろうあ者生活相談員と経理担当のろうあ者職員、そこに専任手話通訳者が加わり合計4名の職員の基に京都ろうあセンターの事業が創造的に切り拓かれる事になった。
京都ろうあセンターの事業は
本来行政がなすべきものである
ろうあ協会は、京都府・京都市はもちろん京都府下の市町村に京都ろうあセンターの事業は本来行政がなすべきものであるとしながら、京都ろうあセンターの維持・発展を求めた。
京都府は、京都府下のろうあ者相談員の理解を得られるならばとしながらも、ろうあ者相談事業の費用を京都ろうあセンターに委ねてもいいとしてきた。
150万円。とてもとても貴重な費用だった。
移転したライトハウスは、行政の援助もあり数千万円を超していたが、それでも京都ろうあセンターには貴重な財源となった。
京都府には、戦後いち早く全国に先駆けて京都左京区下鴨に京都府立身体障害者センターがつくられ、それぞれ更生事業がなされていた。
その一部門であるろうあ者更生施設(印刷などの授産施設)のための予算を組んでいたが、施設そのものの老朽化と改善が求められつつも今一歩改革を打ち出せないでいた。
京都市は全国で初めて専任手話通訳を採用
だがその身分は嘱託職員 それは許せない
一方、自治体として京都府と同格の政令指定都市である京都市は、ろうあ者福祉への対応がほとんどなされていなかった。
ろうあ協会の要求を受けて京都市は、全国で初めて専任手話通訳を採用すると言い、ろうあ協会のみんなを喜ばせたがその身分は嘱託職員というものであった。
嘱託職員の手話通訳。
これでは行政が、手話通訳に対して責任を負っているとはいえないと、ろうあ協会は京都市と交渉を重ねた。
これらの一連の動きの中で京都ろうあセンターは、社会的にも少しづつ注目されていく事になる。