手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
活動をふり返つて
それをどうかえていくか
「みみずく会」
京都では「みみずく会」とろうあ協会の活動の結果、専門手話通訳者がおかれるようになった。
1人。3万円。
ケース・ワ一カーと通訳者とは、一応立場を切つていくへきではないか。
個入の個々の活動の中では、ろう者の立場に立ち切つていくことには、むずかしいことがある。
グルーブの中で話し合つて、活動をふり返つて、それをどうかえていくかということを話し合つていくとよいと思う。
自分の考えを
入れないようにする通訳
野沢
裁判の弁護士について
普通の人には、 弁護士を選ぶ権利があるがろう者には警察の指定したひとを選ぶことなってしまう。
笠置
非常にうまい通訳者があるが、ろう者の自主性が失なわれないかという危惧がある。
通訳者は、自分の考えを入れないようにすることが必要ではないか。
ろうう者の世話を。
ケースワーカ一的に疲れてしまうまでやつてしまっている人がいるが、 奉仕者では、人権等をいわれるとついていけなくなってしまう。
いわれたように通訳を
することはむずかしい
福島
通訳をするとき、2つの立場がある。
いわれたように通訳をすることはむずかしい。
通訳者が考えてしなくてはいけないが、両者の中味をはっきりとらえて伝える。
自分の考えを入れないで、公正にやる。
ろう者だけの立場に立つていると正しく伝えられない。
行政が手話通訳者を育てて
司会 神奈川から出されている、 行政が手話通訳者を育てていく、 システムを広げるということになっていかないと、こういう会にも出にくい。 この件について。
西
1年くらいしかなっていないので話せない。
交流ぐらいだったらポランテイアでもやれるが、通訳者としてやつていくのには技術的にも無理。それは、公の機関でやつてもらいたい。
プロ(通訳者)を養成する機関が欲しい。 資格も欲しい。
手話通訳の専門と
ろう者と手をっなぐ人が多く必要
伊東
イギリスの例では、大学卒で、1年研修するという制度がある。 日本では專門職が少ない。
しかし、専門職がとれても、どういうことをやるのかむずかしい問題。
專門職ができた場合、かえってやりにくいことができてくるのではないか。 非常に繁雑になる。
ろう者が健聴者をたよつてしまうことがある。
例 新採用の入の研修会で通訳を欲しがった。そのとき、通訳者をすぐに出すべきか、問題あり。自分で仲間をつくっていくべきだ。
専門職をっくると共に、ろう者と手をつなぐ人が多く必要である。 それもろう者が自分でつくっていくということが大切だ。
笠置
少し過保護的な面がある。
何でも手話通訳者が請け負うことへの疑問
伊東雋祐氏の手話通訳の専門とその問題は、伊東雋祐氏が教師でないため充分承知していない問題である。
伊東雋祐氏は、京都のみみずく会手話通訳団会議で話されたことで発言している。
「專門職ができた場合、かえってやりにくいことができてくる」というのは、当時の行政姿勢と関連して手話通訳者の手話通訳に対する自由度がかなり制限されることと合わせて考えて行く必要がある。
笠置氏の「少し過保護的な面がある」という指摘は、何でも手話通訳者が請け負うことへの疑問でもある。
この時期で注意して考えなければならないのは、手話を共通した統一した、ある意味画一した手話でなければならないと参加者が発言していることに注視しなければならないだろう。
「全国で通じあえる手話」とは、現在のような、新しい手話や手話テキストに掲載された手話で統一するのではない「通じあえる手話」なのである。
そこには、時間と多くの交流の積み重ねによる「通じあえる」意味が籠められている。