手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
第7回全国手話通訳者会議 第4分科会「サークルの諸問題。学習」について
手話の技術的な断層
ろう協青年部・帰人部とのトラプル
5. 京都・手話学習会 みみずくの経過と現状についての説明 (資料による)
昭和44年9 月に京都ろうあセンターが設立。
ろうあ者人権宣言をしたことが契機となってできたもの。
しかし、ろうあセンタ一ができた後は. ろう者、通訳者の憩いのの場となり、本来の活動より交流が優先している状態である。
会に入会するろうあ者が減った原因でもあると思う。
また昭和45年に厚生省の手話話通訳養成事業により、各地区に専任の通訳が配置された為、みみずく会への通訳依頼が減少した。
また、手話の技術的な断層ができた。
昭和46年には、ろう協青年部・帰人部とのトラプル発生。青年部とのトラブルの原因は、イデオロギ一的なものがある。
みみずく会との交流は1年間程、とだえていたが新役員との話し合いで交流できるようになった。
両親がろうあ者だと
恥じて非行に走るおそれがある
婦人部の場合はろうあ者を差別しているという事であった。
というのは、みみずく会の会員が子供の遊び相手をしていたら、何故相手が必要かという事を大人になって、両親がろうあ者だと恥じて非行に走るおそれがあるという事を言つたからである。
ろうあ者の子供は非行に走りやすいというようにとってもらっては因るという事への訴えによるトラブルであった。
一人がみんなの為 みんなが一人の為に
昭和48年には、みみずく会発足十周年記念集会があり、そこで民主的団体として障害者、ろうあ者連動だけでなく、悩みを自分達のものとして、一人がみんなの為、みんなが一人の為に今年からまた新しい1 0年に向って再出発する事を誓つた。