communion of mind with mind
京都の西陣は西と帯や織る帯、絵付けをした着物などなどで表現されていた。加悦さんは違った。頭上から降りてくる織物が家中這い回る手話が、西陣織だった。と述べてきた。
これは、手話の違いや表現の多様性だけでは決してないことを銘記しておきたい。
手話の単語ひとつで、その意味をひとつで言い表すしてその正否を断定するのは、加悦さんだけでなく手話をコミュニケーションの主要な方法として生き続けてきた人びとーもうほとんどのひとびとは亡くなっているーがその人びとへの限りない尊敬の意味があるとは思えない。
近年、ひとつの手話の表現だけで、「ひとつのことば」を当てはめ、こうである、とか、むかしはこうであったとする傾向が広まっている。
西陣、西陣織りの多様な表現のいくつかを紹介したのは、手話を深く知る一助として述べたにすぎない。
手話は生活と相まって複合した概念を形成
手話は、生活と相まって複合した概念を形成し、それで自分や自分以外の人びとの考えー思考ーと分かち難く結びついているからである。
手話は、具体的なものやさまざまな出来事の実際にあった客観的な事実に基づいて連関される。
それは、筋道のある意味合いを持っていることが多い。
客観的な事実に基づいた手話
具体的表現から一般化されいく
具体的なものやさまざまな出来事の実際にあった客観的な事実に基づいて連関された手話は、具体的表現から一般化されていく。
具体的なものやさまざまな出来事の実際にあった客観的な事実に基づいて連関された手話として、具体的表現から一般化され例のひとつとして滋賀県の大津が、1891年(明治24年)5月の大津事件を表現したものとして挙げておく。