communion of mind with mind
加悦さんの家は今はもうない。
が、招かれた頃は、とてもとても小さな家だった。間口が狭く、戸を開けると織機が頭上から落ちるような感じで動き続けて、機械音が鳴り響いていいた。
よく言われる「ガッチャンガッチャン」と表現される西陣地帯の織機の音ではなかった。
正直言って居たたまれないほどの音であった。
天井から織られた織物が舞いあがり、それが床で廻転し続ける。
立つ隙間もないなかで、加悦さんは身体を横にして家の奥に入るようにと招いてくれた。
苦労とひと言にして言えない苦労を重ねてやっと自分の家が持てた。加悦さん夫婦は、お茶を淹れてくれた。
吞むほどに、どこで寝泊まりしているのかが気になって尋ねてみた。
中二階の三畳ほどの隙間で、親子で寝泊まりしていると顔中笑顔で答えてくれた。
家のすべては、織機が占領し、その隙間で暮らしているとも言う。
かっては、着物姿の奥さんを見初めた加悦さんは、死んでもこの織物を奥さんに着せることは出来ないと言い、奥さんもまたそれでいいと微笑み返し。
しあわせは、今にあると。
手話で、西陣は西と帯や織る帯、絵付けをした着物などなどで表現されていた。
加悦さんは違った。
頭上から降りてくる織物が家中這い回る手話が、西陣織だった。
でも、今が一番という加悦さん夫婦のことばには、書き切れない深い意味があった。
※ 加悦さんが生前、みんなに私たちの生きてきた生活も知らせてほしいと写真を預かり大事に保管していた。おそすぎて加悦さんに申し訳ないが、少し紹介していきたい。