手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

単純ni手話通訳することは出来ない 深く胸に刻んだあの日

syuwatan

  communion of mind with mind

 

  京都、西陣。織物の地域だった。
 
 かっては、織物の機械音が鳴り響き、共鳴し合い、その音を聞いただけで西陣の地域に居るとわかるほどだった。
 ガッチャン、ガッチチャンと表現する人も居たが、その音に耐えきれない人も多くいた。

 

 その西陣から少し離れた著名な寺院の近くに加悦さん(仮名)さんは住んでいた。

 加悦さんはなぜ、西陣の地域に住まなかったのだろうか、と考えたがすぐ答えが飛び込んできた。


 狭く小さな加谷さんの家は、西陣の地域より安かったからだろうと思えたからである。

 

 働きづめに働いてやっと手に入れた長屋の一角。

 

    「わが家」

 

 夫婦でやっと買えた家のことを話す加谷さん夫婦には笑みがこぼれ続けていた。

 

 笑みの表情は無限

 

 笑みの表情は、無限である。

 こころから湧き出た笑みで、手話で話される時、「うれしかった。家が買えて」「家が買えてうれしかった。」と「単純」に手話通訳することは出来ないと深く胸に刻んだのはこの頃のことだった。