手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話で語ることはない 殴りつけて生徒を並ばせ 平和祈念像にむかって 青い空は青いままでを歌わせるようす

communion of mind with mind

 

長崎ろうあ協会のアヤキさん、手話通訳者、カメラマンの3人は、平和祈念像がある平和公園で出会った。

 それは、アヤキさんが被曝した地域の近くであることや平和公園で出会いやすかったこともあった。

 

 3人が出会ったとき、平和祈念像の前で中学生が教師に順番に殴られ、整列させられていた。

 殴った先生は、それで満足したらしく平和祈念像に向かって歌を歌わせた。

 

 青い空は 青いままで

 

 子どもらに 伝えたい

 

 燃える八月の朝

 

   影までもえつきた

 

 手話を通訳を魅入っていたアヤキさんは、捨てておけ、という手話をした。

 手話通訳をしなくていいと言う事であったのだが、平和祈念像と生徒たちに背を向けて歩き出したアヤキさんの行動に、カメラマンは突然 なぜ平和祈念像に背を向けてアヤキさんが歩き出したのかを訝しがった。

 

 アヤキさんはただただ足早に歩いた。

 

 その歩調にはアヤキさんの気持ちが痛く突き刺さった。

 

 平和祈念像がある平和公園から東の細い道を下った後にわずかに石垣が残っていた。
 あやきさんは、ここは、長崎刑務所だった場所で刑務所の周囲に壁がめぐらされていたとその形や雰囲気を全身で現して教えてくれた。

 

 自分や友人が通っていたろう学校への道。

 

 忘れるはずはない。

 

 そこには憂いと絶望と哀しみの眼があった。