communion of mind with mind
最近、「言えない言葉がある」と言う意味をさまざまに受けとめる人があるように思える。
同時に次のことを問い続けてきたし、問い続けてもほしいとも思う。
手話通訳できない手話もある。
言葉で、言い現せない、とも、言える手話があることを。
だが、それを「避けて」もいけない。
言い現わすことの可能性をどこまでも追求するのが手話通訳者としての責務でもある。
このことは「放棄」されていないだろうか、近年。
平和公園を後にして下り坂を歩くアヤキさんの後ろ姿と振り返った時の顔に現れた「憂いと絶望と哀しみの眼」。
この時、すべてではないがアヤキさんの想いが鋭く伝わって来たことは決して忘れられないことであった。
彼は、手話でなく全身で深い想いを伝えてきていたのだ、と思った。
生徒を殴りつけ平和祈念像に向かって歌を歌わせた教師は、「平和教育」をしているつもりだったのだろうが、アヤキさんはそれに背を向けただけでなく、それ以上のことを「言い現していた」と思えた。
アヤキさんの姿を訝しがったカメラマンとの間にその後大きな亀裂が出来ることになる。
刑務所跡地に残る周囲の壁がめぐらされていたとその形や雰囲気を全身で現して教えてくれたアヤキさんは、南へと細い道を歩き続けて自分が被曝したと思われる地点にやって来た。
広島に投下された原子爆弾と長崎に投下された原子爆弾は同じ「種類」のものではない。
また広島は、平野部であったが長崎は入り組んだ山間部と河川と海で形成されていた。
ともに大量虐殺であり、大量虐殺の実験地として原爆が投下されたとする考えを研究者から聞き、大量の資料を読みあさったがそれを否定することは出来ないでいた。