communion of mind with mind
なぜ、どうして、と聞き返すことをしないで、手話テキストから、思い込んだことをだけを手話を学ぶ人はしていないだろうか。
それは、同じ人間として、手話を通して深い人間連帯と深い信頼を築くことを「避けて」はいないだろうか。
手話を表面的に受けとめ、手話テキストのマニュアル通に理解してはいけないという戒めがあることを加谷さんは教えてくれたように思える。同時に、手話に籠められた逆説の表現、肯定の中にある否定の法則、があることも手話通訳をするものは、学ばなければ、理解しなければならないことを強く教えられたよう教えられたように思う。
などの投稿に対し次のような意見が寄せられてきたので紹介します。
「手話と手話通訳」は個人が書いているのではなく複数の協力者で書かれ、投稿さえていることは、表題にも書かれている。
これを個人だけが書いたものとし誤解をされているかたは、その誤解を解いて「手話と手話通訳」を読んでいただきたい。
日本語対応手話とか日本手話とか
手話の「誤りを」正そうとする人が多いが
近年、日本語対応手話とか日本手話とかで「その違い」や「誤りを」正そうとする人が多い。
時には、それぞれが「攻撃」し合っている、ともとれる意見もある。
だが、この事は、「肝腎な手話」の意味合いを捉えて主張されているのか疑問である。
かって、丸山浩路氏は、手話のことを「ボディランゲージbody language」「身体言語」と言い、手指や腕だけの「手話」という言い方の対峙して「身ぶり語」が観る人にメッセージを訴えかけている事はハッキリしていて、それは「言葉をきく」のと同であり、伝えられた意味を読み取る重要性を強調していた。
そのことを日本語対応手話とか日本手話とか、主張される前に考えていただきたいことがある。
掲載された写真は、今から50年程前に長崎の原爆投下地点の記念碑の前で撮影された写真である。
この写真の左側から順に長崎で被爆した長崎ろうあ協会のアヤキさん、手話通訳者、長崎の爆心地100m以内で原爆投下時に奇跡的に生き残った女性である。
右後方に原爆投下地点の記念モニュメントがある。
これを撮影したのはカメラマンの豆塚猛氏である。
写真を撮影することは了解されていたが、特に爆心地100m以内で原爆投下時に奇跡的に生き残った女性はこの時を、写真に撮られることも語ることも待っていたと言った。
繰り返すが、50年程前に長崎の原爆投下地点の記念碑の前での会話の写真である。
この時の会話をすべて再現できないが、手話とは何か。
手話通訳とはどういうことをして、何を学ぶのか。聞こえる人との会話をどのように手話通訳するのか、があったと言えると思い続けた。
記憶を辿って書かせていただきます。