
communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開 個人名はイニシャル表記、写真は著作者の豆塚猛さんの了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。
三段階を経ながら学ぶということは簡単なことではない
Questioner
コミュニケーションで成立をそのまま受け入れ同調し、そのコミュニケーションで話し合う。
そうしながら少しずつ小さな仲間たちで通じる手話や言葉や文字を無理強いしないでひろげながら、その人々が使っていた身振りと言ってもいい手話表現をほかの手話表現と重ね、融合しながら、お互いがお互いで学び合っていく。
そのことを踏まえて社会における問題にチャレンジをする。
単純に区分できない交叉した複雑で重層した段階をへて自分たちの限られた社会から次第に大きな社会、さらにもっと大きな社会、それ以上の社会とコミュニケーションを拡げていく粘り強い取り組み。
と言われましたがそういう三段階を経ながら学ぶということは簡単なことではないと思うんですが。
手話通訳問題、手話・手話通訳を考えていく
上での重要な基礎的前提条件
新しい時代の新しいことばを「手話に変換」したり
元手話通訳問題研究編集長
三段階と言いましたがその三段階はいろいろ工作しながら複雑に存在して行くものであって手話通訳問題、手話・手話通訳を考えていく上での重要な基礎的前提条件になると考えています。
そういうことを踏まえて、新しい時代の新しいことばを「手話に変換」したり手話表現を音声言語で伝えたりする。
そういう
ことが近い将来果たせるんではないか、いやそういうことを手話通訳をする人々は学ぶべきではないかと考えているわけです。
そのためには、絶対的に三つの区分は三つにならなくて。
手話通訳が大木に育つために
大木に育っていくためには、根を大きく拡げ、枝を広げてどんどんと光を浴びながら成長して大木になっていくような。
そういう取り組みのきっかけを手話通訳問題研究誌でつくってきたのですが必ずしもそれがその後受けとめられているとは考えられないんです。
新たに
「別のもの」「手話」「手話通訳」をつくることは安易
なぜなら以上述べたことは簡単にできることではなく。
手話通訳をする人々がが努力に努力を重ねたりいろんな角度から検討したり深めたりしする膨大な時間ご検討が必要なので、単純なものではありません。
だからそういうことをしないで新たに「別のもの」「手話」「手話通訳」をつくることが手話を簡単に広げられるという問題があるでしょう。
それが、利益をもたらすことにもなる。
手話というコミュニケーションを
自分たちのものにしてきた人々歴史的教訓を踏まえ
その人たちの汗と涙と血の流れたミュニケーション手段を尊重しその上にさらに発展させていくということになっていない
その傾向が年々強まってきています。
が、それは手話というコミュニケーションを自分たちのものにしてきた人々の歴史的教訓を踏まえたり、その人たちの汗と涙と血の流れたコミュニケーション手段を尊重し、その上にさらに発展させていくということになっていないと思ったりします。
なっているのでしょうか。
私たちは当時限られた予算しか持ち合わせていませんでした。
しかし時代の流れとともにそういうことを詳細に分析する機器もしくわそれを検討する時間が次第に増えてきたように思います。
少しずつ検討する時間が確保
その時間を手話通訳検討・研究をすることによって
さらに手話通訳に対する貢献
手話通訳としても各都道府県にわずかしかいない中で、ある意味24時間行動しなければならない事態から少しずつ検討する時間が確保できてきたのではないだろうかと思っています。
その時間を手話通訳検討・研究をすることによってさらに手話通訳に対する貢献ができるのではないか、そうすることが手話通訳の重要な役目として位置づけるべきではないかと考えてきました。
そのようになってきた、そうなっているでしょうか。