手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。 みなさんの投稿をぜひお寄せください。 このブログは多数のみなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられています。過去と現在、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

藤田さんと 映画「名もなく貧しく美しく」

communion of mind with mind
2000年~2001年元手話通訳問題研究編集長へのinterview一部公開  個人名はイニシャル表記、写真などは了解などなどいただいています。また、手話通訳問題研究誌から一部引用させていただいています。

 

 藤田さんと 映画「名もなく貧しく美しく」

 

interview
  次は、藤田さんの手話のことですか、。

 

元手話通訳問題研究編集長
  藤田さんは、以前からお会いしたいと思い続けていました。

 

 この手話通訳問題研究の撮影で、初めてお会いすることになったのです。

 

 依頼したとき、こころよく応じていただき、とても楽しい会話がはずんだので手話通訳研究誌を作成する時に一番楽しく編集できました。

 

 藤田威さんの手話を多くの京都のろうあ者の人々は絶賛

 

 映画「名もなく貧しく美しく」は、藤田さんが書いた手記が、「暮らしの手帳」に掲載されたことが切っ掛けで映画化された。

名もなく貧しく美しく 予告篇

www.youtube.com

 
 そのため藤田さんの写真を連載するに当たり、「暮らしの手帳」社に長文を書いて手話通訳問題研究誌に転載の許可をもらいやっと、そのまま転載するという約束で、手話通訳問題研究誌20号に掲載されたので合わせて読んでもらったらと思う。

 

 思い出深い人でした。

 

  手話は絶品だったと何度も何度も聞いて

 

 この撮影をした時はご主人の画家・教師の藤田威さんは亡くなられておられました。

 

 藤田威さんの手話のことは、多くの京都のろうあ者の人々から感嘆と同時に同じ手話を表現してもらいましたた。


 特に藤田威さんの「鳥の求愛」や「風景」の手話は絶品だったと何度も何度も聞いてきた。

 

 藤田さんの出会いは、戦前の京都聾学校でそこから結婚されました。

 

 そして島根県の浜田聾学校の教師としてご夫婦が引っ越しされましたが、京都のろうあ者の人々は、会えることはできなくなって寂しいなどと何度も聞いてきました。

 

  一応、写真を掲載し私なりの意見を述べさせてもらいます。