手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

選挙演説をろうあ者が聞きたいとのねがいに声をたてるからと選挙管理委員会  第一回全国手話通訳者会議考察1968年

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 さらに、4、手話通訳者の中立性、5、その他があげられ、説得力:単に通訳するだけでなく、問題を発展させていく意識、社会全体にろうあ者の問題を広く理解させる役割(一般化運動)も、通訳者として備えなければならない、と京都府民生労働部の向野嘉一氏は報告した。

 

ダイナミックで未来志向の提起

 

 繰り返し、繰り返し述べているが手話通訳は単に手話をするだけではなく、その基本をふまえなければならないこと。

 

 手話通訳者には、ろうあ者問題を広く広めつつ、そこに横たわる諸問題を人々の中に共通性として広げて理解を広げる役割があるとさえ提起している。(一般化)

 

 このことを考えてみても第1回全国手話通訳者会議では伊東雋祐氏のいくつかの問題のある報告(http://sakukorox.hatenablog.com/entry/2014/12/08/012205

参照)が今日注目されているが、向野嘉一氏の提起のほうがはるかにダイナミックで未来志向の提起であったともいえる。
 
第1回手話通訳者会議の
   「質疑疑応答」と各都道府県の特徴

 

 以下第1回手話通訳者会議の二つの講演は省略して各府県から参加した手話通訳に携わってきた人々の「質疑疑応答」から、各都道府県の特徴などを考察して行く。

 

 京都聾学校の教諭で、現在大学教授の小林氏は、

 

 手まねがかなり意識的につかわれている。手まねはなくすべきだ。もはや身ぷりの段階ではない。
 手まね言語、身ぷり言語が定着して記号化されている。手まねは、ろう者自身にとっては忌わしいものであるだろう。

と手まねという考えに否定的で、もはや身ぶりの段階でない、としながら次の段階を提示出来ないでいるジレンマを抱きつつ問題提起している。

 

 横浜の田中氏は、


 ろう教育に携わっている人は、ともかく、一般民間人が通訳できるようになる。
 あるいは、深く入っていこうとするための方法、可能性を検討してほしい。

とろう教育の教職員が手話通訳出来るようにするように要請している。

 

 岩手県の馬場氏は


 健聴者とろうあ者が手をむすぷことから、更にろうあ者を健聴者の中にいかに引き出してくるかが根本であろう。
 そのためにろうあ者のCommunircationMethodを用いて、どう健聴者の中に入っていくか指示願いたい。

 

とろうあ者が、健聴者の中に入るコミュニケーション方法を考察する方途を提起している。

 

 島根の橋本氏は、

 

問1選挙演説をろう者が聞きたいという際の問題点、他の地区ではどうしているか。
を提起し、他府県からの

 

(答)演説の通訳が許可されるまでの交渉→選挙管理居委員会、当会場に通知

 

通訳者の中立性、ろうあ者が声をたてること等の理由で、難色を示されたが、結局、許可された。(東京)

 

を聞き、手話通訳者の育成と手話の一般化についてを問題として出している。

 

多くの障害者は
選挙権を行使することが出来ないで

 

 島根の橋本氏の「選挙演説をろう者が聞きたいという際の問題点」とそれに対する東京からの報告は、現在では、とても考えられないことである。

 

 選挙演説をろう者が聞きたい、という提起は主として各都道府県が実施する各種選挙の立合演説会のことを取りあげていた。

 

 公民権としての選挙に対して国民が参加することは当然の権利であり義務でもあるとしながら、多くの障害者は選挙権を行使することが出来ないでいた。