手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

全国のろうあ者が結束して交流しようという意気込み 京都の手話

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手話を知らない人も

                手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー


  1948年 5月10日 第1回全国ろうあ者大会が京都で開催された。

 

 その時の想い出を明石欣造さんは語る。

 

 戦後の混乱期。食べ物(戦前から続く配給制など)や宿泊先も何もかもが苦労の強大な塊だった。

 

 でも、全国のろうあ者が結束して交流しようという意気込みは、困難を打ち砕いた。

 

 そのことのほんの一部を語る明石欣造さんの話は大変貴重だと思う。

 

 手話では、第一回としないで、初めて(初めて・始めては漢字の意味的にも区別されていたが。)という手話は、この写真では手のひらを水平にして、すぐに腕にあげて1を表しているが、頭上より高い位置まであげていることから感動の感情が強調されている。

 

 通常は、手のひらを水平にして、すぐに腕にあげて横一で人差し指を胸のあたりまであげるのだが。

 

 苦労は、あれこれと気を遣うという意味で頭を叩く手話。この手話は、めんどう、とも使われた。

 

  砂糖は、なめると甘い動作の手話。酒は、顎と額を下から上にほんの少し軽く叩く手話。

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  初めて全国ろうあ者大会を開きました。


 大変苦労したのは、砂糖や魚や酒などが不足していたことです。これはどうしようもないことでしたが、いろいろと考えて役所にお願いしました。役所からチケットをもらい、(不足していたものを)交換することが出来てみんなに大変喜んでもらうことが出来ました。