手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
手話ってかっこいい
最近、N県のN教育大学の4回生の学生さんと話した。
その時、
「手話ってかっこいい、と思ったのは小学生から」
と聞いてびっくりしてしまったし、うれしくもあった。
1969年。手話通訳もろうあ者も「ひとくくりにして罵声を浴びせ」かけられた。
「かっこいい」
って思ったこともなかったし、ろうあ者と一緒に惨めな思いをするばかりだったからだ。
つらすぎる手話通訳
「なに、なに」「何を言っているの?」
あまりのひどい言い方に、つい、つい、手話通訳できなくなってしまうことも数え切れなくあった無残な話。
ろうあ者から
「なに、なに」
「何を言っているの?」
と聞かれて手話通訳するのが辛すぎた。
親、親類の反対を押し切って
結婚すると他の人々に迷惑がかかる
C子さんの母親、姉、親類から浴びせかけられたときもそうだった。
時代は変わる。
時代は新しく回ると思って、N県のN教育大学4回生の学生さんの話を聞いてうれしかった。
カッコイイ、か、の、か、な、と落ち込んでしまった。
私たちは、軟禁状況にされているというC子さんの家を辞した。
でも、このことも予想して前もって調べていた情報をもとにC子さんが働くス-パーを訪れた。
C子さんの仕事が終わるのを待って、C子さんと話をした。
が、C子さんは親、親類の反対を押し切って結婚すると他の人々に迷惑がかかると動揺し続けた。
Tさんは、これ以上優しく表現しようがないという手話で話しかけていたが、長い時間が経ってもC子さんの本心はTさんと結婚したい、ということだが、親、親類の反対を押し切って結婚することは出来ない、と言い続けた。
この結婚問題は、結局うまく行かず当事者に苦々しい思いだけが残った。