手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
地元紙の新聞記事を見た福祉事務所所長は。非常に驚き、ろうあ協会の二人役員を呼んで「筆談」をした。
聞こえないから文で書いたら筆談したら話が通じる、と考えていたのである。
だがそうではなかった。
福祉事務所所長の文が読めない
ろうあ者はその文章を持ち帰り相談
福祉事務所所長の文が読めないろうあ者は、その文章を持ち帰り、文章の読めるろうあ者も含めてみんなで相談した。
「言った言わない」
「分かったはずだ、そちらの思いすごしだ。」
とさんざん痛めつけられてきた山城ろうあ協会は、みんなの力を合わすことで理解を深め合い、その力量を高めていた。
話が十分理解できなかったのではないか
その筆談が今も綴じて残っていた。
紙が色あせて消えかかる文字を読みこなして、歴史的な文章なので紹介する。
福祉事務所長が書いた文をそのまま掲載しても意味不明なので少し注釈を加える。
福祉事務所長の筆談(注:筆談と書いているが、ろうあ者は何も書いていない。文が書けなかった。そのため正確に筆談とは言えないが。)
(注:1968(昭和43)年7月8日午後2時半ごろろうあ協会役員が来たときのことについて~)
この前、こられたとき話をしましたように「お互いに話が十分理解できなかったのではないか」と思います。
笑うなどもそんな気持ちでいる者は
ないと信じています
記事(注:地元新聞記事について)は、こちらからいったのではありません。
同紙は、ろうあ協会のニュースをみた上で福祉へ来て関係者の話をききかいたものです。
丁度、こられたときも、記者がこられたときも、私が不在のため、どんな話であったか、くわしくわかりません。
後できいたところでは、ろうあ者の方を差別したり、またきよったなどというようなことはなかったとのことです。
私の部下で、そうわかることなら深く謝るにやぶさかではありませんが、そんなひどいことをするとは夢にも思いません。
まして、笑うなども同様、そんな気持ちでいる者はないと信じています。
ない。いわない。