手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
1970年までの全国手話通訳者会議は、日本の手話や手話通訳史上画期的な出来事であった。
当時の国際状況を見ても、手話通訳者が各地から集い、論議し、手話通訳のあり方を考える機会を持ち、それぞれの共通事項を見いだそうとした探求心は国際的にも評価されるべきものである。
手話や手話通訳を
社会的認知させていく出発点をつくった
福島県ろうあ協会・手話通訳者の方々
この全国手話通訳者会議を準備し、開催のための人力を惜しまなかった福島県ろうあ協会・手話通訳者の方々の努力が、今日の手話通訳を「定着」させるきっかけを作り、手話や手話通訳を社会的認知させていく出発点をつくった。
この福島県ろうあ協会や手話通訳者の方々の努力がなかったら、手話や手話通訳の社会的認知はもっと遅れたものになっていただろう。
国際障害者権利条約(2006年12月13日)が提起する遙か以前から日本では手話を言語として内包させた上で、社会的認知させる大きな働きがあったことを私たちは充分な理解をしておかなければならないのである。
全国各地で手話通訳
を行っていた人々の
合流を可能にした全国手話通訳者会議
1、第三回全国手話通訳者会議までの三回の会議は、全国各地で手話通訳を行っていた人々の合流を可能にした。
それぞれの地域での取り組みの交流と共に手話通訳の取り組みの教訓を地域と全国に還元することを可能にし、それを基礎に手話や手話通訳をさらに日本各地に広め、ろうあ者の手話通訳要求に応えるべく奮闘する契機を創った。
多くの意味が包括
されている「通訳」という言葉
2、会議では、手話通訳という言葉よりも「通訳」と言う言葉がしばしば使われているが、この「通訳」という言葉の使い方には、多くの意味が包括されている。
・ろうあ者と聞こえる人々のコミュニケーションを可能にするという意味合いであって、単に手や腕を動かし形式的な手指の動きでうあ者と聞こえる人々のコミュニケーションが成立したとは考えないでいたからである。
・手話をすることで通訳することにはならない。
では、自分たちの「通訳」を実態を伴った名称としてどのような名称にすべきであるか、という戸惑いがあった。
このことは、後々論議されることになるが、「どのような名称を使っても社会的理解」を得られるものではないとして、手話や通訳の社会的理解と常識的保障を求める取り組みに重点が置かれることとなっていた。