手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
全国手話通訳問題研究会結成
初代全国手話通訳問題研究会事務局長
谷勇男氏へのインタビュー
全国各地で努力してくれた人々
-ー全国手話通訳問題研究会はすぐ全国組織に出来たのですか。
全国手話通訳問題研究会の会員は、300人にも満たなかったので伊東のり子さん(伊東雋祐先生の奥さん)がやりくりしてくださったが、大変だった。
会員も全国手話通訳問題研究会の体制も整っていなかったけれど、全国に手話通訳者が育ってほしいと、私が(谷勇男)がすこしづつ呼ばれるようになって。
手話劇で、岩手、青森。北海道、大阪、和歌山は何度も行った。四国、九州はほとんど無くて。
四国は、山口県の綾城さんが努力してくれて。
-ー四国九州、沖縄への働きかけはかなりおくれた。
たしかに、おくれたね。逆に東北、特に福島、青森、北海道が活発に取り組んでくれた。
手話通訳研究を蓄積していくことを考えて
-ー手話通訳問題研究誌などの出版をはじめたのは
やはり、手話通訳研究を蓄積していくことが大切と考えて出していった。書ける人が書いたり、書くことを頼んだりして。
各地に全国手話通訳問題研究会をつくるために積極的に取り組んで組織してくれる人がいた。黑崎さんの奥さん、和歌山の吉見さんとか多くの人が努力してくれた。
全国手話通訳者会議は
充分検討されずに取り止められた
-ー全国手話通訳者会議が開かれなくなったのは、全国手話通訳問題研究会が出来たからなんですか。
いやいやそうでないんです。
充分検討されずに取り止められた。そのため手話通訳研究の部分が、全日本ろうあ連盟との関係で空白にされてしまった。
ろうあ協会に「従属」するような関係が出てきた。
全日本ろうあ連盟と全国手話通訳問題研究会、各地のろうあ協会との関係で同じような問題が出てきていた。
ろうあ者の言うことを聞かないとイケナイとか‥‥‥
主人公はろうあ者
そのろうあ者が参加しなければだめだと
-ーなぜそのような平等関係が築けなかったんですか。
それは主人公はろうあ者。そのろうあ者が参加しなければだめだ。
手話学習会などにも。そうなるとろうあ協会の役員などが、あの手話は、これは、とかそんなことばかりを言う。
基本的なことではなくて。さらに全日本ろうあ連盟が手話学習の講師はろうあ者でないとイケナイ、という方向を打ち出してくる。