京都でも同様なことがありながらも多くのろうあ者からその事への共鳴はしなかった、それは、
聞こえる人の給料と比較して考えるべき
① 自分たちよりも収入が多くなることはその通りだが、聞こえる人は聞こえる人の給料と比較して考えるべき。
その比較から考えると専任手話通訳者は、必ずしも高収入とは言えない。
休日夜間の手話通訳などが多数あり責任も大きい
② しかも、休日夜間の手話通訳などが多数あり、その負担は他の聞こえる人々と比べてもはるかに大きいし、責任も多い。
ろうあ者の収入の低さは手話通訳者と協力して解決
③ ろうあ者の収入の低さは、手話通訳者と協力して、自分たちの要求を社会に知らせることで待遇の改善を図るべきであって、お互いの足ひっぱりをしていたのでは問題は解決しない。
手話通訳者の待遇の低さは
行政側のろうあ者に対する認識の度合いの程度
④ むしろ専任手話通訳者の待遇の低さは、行政側のろうあ者に対する認識の度合いの程度としてとらえるべきものだ。
などの意見が出された。
手話通訳者に対して信頼してお互い干渉しない
そのため手話通訳者は、ろうあ者の意向を抜きに独自的行動を起こしてはならないとする意見は、手話通訳者に対して信頼していないことである。
手話通訳者の会議には必ずろうあ協会の役員が参加して事の是非の決定権を有するなどのことは、手話通訳者に対する干渉である。
逆にろうあ協会の会議に手話通訳者が参加してあれこれ指示されたら自分たちは反発するだろう。
聞こえるもの同士では音声言語で話をする
ろうあ者同士が手話で内緒話をすることもある
手話通訳者の労働とろうあ者相談員の労働は別であり、互いに協力をすることはあっても同行しなければならないなどということはお互いの労働に対する束縛になる。
手話通訳者はろうあ者が居ようとそうでなくても絶えず手話で話をしなければならないことはない。
聞こえるものは聞こえるもの同士では音声言語で話をするものである。
ろうあ者同士が手話で内緒話をすることもあるのだから、それらを通訳されたら嫌だろう。
お互いの立場は尊重すべきものだ。
これらのことが自明のこととして理解されていったのである。
京都のろうあ者は職場で排除と疎外されていたと
絶対的に決めつけるのは正しくない
京都で多数のろうあ者が以上の理解が得られていなければ、手話通訳者を地方自治体に配置することも、その後の手話通訳の公的保障も実現し得なかったのではないかとも考えられる。
ろうあ者が手話通訳者の身分保障について深い理解と統一的な見解を持ったのは、さまざまなことが推定できるが次のことだけは明らかである。
専任手話通訳者が配置されるまで、京都のろうあ者は職場で排除と疎外されていたと絶対的に決めつけるのは正しくない。
むしろ京都のろうあ者は、さまざまな職場で健聴者とともに労働環境や労働条件の改善に取り組んでいた。
だから苦い思いもしていたが健聴者の考えもよく知っていたし、健聴者と連帯して働く条件の向上を目指していた。
このことは、歴史的にもとても大切なことであったが、全面的に継承されていないことは熟考すべきであるが、それは基本的な考えが事実として存在したことから思考されるべきだろう。