(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
1994年12月。
グラバー邸の前のカステラ店の二階の喫茶店での打ち合わせ。
全通研長崎支部の仲間から出版を断られたら断念しよう、そう決意して椅子に腰掛けた。
ろうあ者の被爆体験の記録を出版するためには、1000冊を超える販売がどうしても必須条件だった。
どんなことを言い、全通研長崎支部の仲間が何を言ったのか、今はまったく記憶がない。
だだ、当時、有形無形の困難を抱えていたにもかかわらず全通研長崎支部の人々は快く出版とその販売を快諾してくれたこと。
美味しいコーヒーと下の階から立ちこめるカステラの臭いは一時も私の心を離れたことはない。
その後、それなりのいくつかの困難はあったものの「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)は市販ルートに流れることとなった。
手話を学び手話を研究するものにとって
避けて通れない「試金石」
長崎のろうあ者の被爆体験の証言集に私が当初から関わっていたからとかの感傷的な気持は全くなかった。
手話通訳研究誌に掲載された文を何度も何度も読み、校正を続けてきた私の胸に、ろうあ者の人々の証言を心底真剣に受け止め理解しているだろうか、という自問自答の問いが渦巻きだして止めようがなかった。
病気療養中の私は、全通研の仲間が必ずそれらを紐解いてくれ、引き継いでくれるだろうと固く信じていた。
手話を学び手話を研究するものにとって、避けて通れない「試金石」が多く含まれていたからである。
人間が人間であるということの証明
人間が人間であるということの証明が、長崎の被爆体験の記録にある、と芯から思った。
時の流れはそういうことをしてくれなかった。
みんなが望んだ微笑みは、どんどんと遠のいていく気がしてならなかった。