(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
二つの団体が取り組んだから
出版が出来るのだ
1994年12月。
もう二十余年が経ってしまった。
グラバー邸の前のカステラ店の二階の喫茶店で出版の打ち合わせ。
私は、「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣出版)に際し、著者をどうするのかということの話を切りだした。
全通研長崎支部としては、という私の意見にすぐに回答があった。
それは誤りである。
「長崎県ろうあ福祉協会」と「全通研長崎支部」の両者であると。
この二つの団体が取り組んだから出版が出来るのだ、という返事に頭が打たれる思がした。
みんなで取り組んでいるからみんなのもの
さらに私は、ろうあ者の被爆した人々の実名はでる(このことでも長崎支部の人々の言うに言えない悔しさや度重なる苦労と涙があった。)のだから、「あとがき」に聞き書きに取り組んだ人々の努力に敬意を表してその人々すべての実名を列挙しようと提案した。
いくつかの出版でも常識的に行われていることでもあり、重要な記録をまとめ上げた人々の名前を掲載するのは、礼儀であり常識、と思って話したのだが、これも断固としてかなり厳しく断られた。
やはりみんなで取り組んでいる。
全通研長崎支部として取り組んでいるのだから。
それでも私は月日とともに忘れ去られることもあるので、と執拗に食いさがったが、答えは変わることはなかった。
みんなの努力、苦労が分かるが故にそれぞれの名前を掲載したかったのにと反芻する気持は何時までもつづいている。
この点では、その後数年して広島での「聞き書き」なる出版物と根本から違っている。
人類の共同財産である
極限の困難を乗り越え、ろうあ者の被爆という事実を誰かが後世に伝えていかなければならなかった。
刻一刻とそれが出来なくなり、崩れていく現実に目を覆うのか。
それとも立ち向かうのかという厳しい選択の中。
全通研長崎支部の仲間はろうあ者と共に立ち向かってくれた。
この取り組みと記録は、ヒューマニズムが箱一杯詰められている宝箱なのであり、人類の共同財産であると私は断定する。