{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
1954年手話冊子に記録させている「あかちゃん」。
手のひらを拡げ両手を左右に小刻みに動かす。
ことばを発する前後のあかちゃんの身振り・動作を表現している。
また、当時、あかちゃんをあやすときに大人が行った「いないないばー」のようにあかちゃんをあやすときの動作をもとりいれている。
あかちゃんに出会ったときに赤ちゃんを「あやす様子」。人びとは赤ちゃんを愛し続けていた表れの手話。
あかちゃんの手話は、あかちゃんの成長とともに手話表現は変化しているが、この場合はよく使われている代表的な「あかちゃん」が記録されている。
追視が充分出来ない時期の赤ちゃんを視界の範囲で解るように左右の手を微妙に動かす。バイバイの意味でない。
この微妙な手の動きにすべてが籠められている。
時代とともに消されてはならない手話「あかちゃん」。あかちゃんの微笑み返しが手話をする人の瞳に映るような手話。
「1954年手話冊子」より(1)-1
第1章 手話の意味
現在、社会の極く限られた集団の間で使用されている手話について、その意味を考え、僕達の手話をめぐって、お互いの意志、感情の伝達や報告の手段として使用されている手話について、その意義を考え、僕逹の周囲をとりめぐって、お互いの意志、感情の伝達や報告の手段として、人類社会を有機的に結合せしめているコミュニケーションの中に位置ずけ、体系的な定著(定着)を試みようとする事は、ひどく困難な仕事だと思う。
手話はお互いの意志
感情の伝達や報告
の手段として使用されている
プロレス人気が高り、テレビが各家庭にない時代みんなは銭湯に行き、テレビを見に行っていた時代。
京都では手話を記録し、その法則性を記号化し検討していた。
現在では到底信じられず不可能なことに挑戦していた先達者に敬意を表し、少しずつ「1954年手話冊子」を紹介検討したい。
人類社会を有機的に結合せしめている
コミュニケーションとしての手話
手話を「お互いの意志、感情の伝達や報告の手段として使用されている」として「人類社会を有機的に結合せしめているコミュニケーションの中に位置ずけ、体系的な定著(定着)を試みよう」と意図していることは、以下 「1954年手話冊子」に貫かれたpolicyである。
手話を社会から切り離すのではなく、健聴者と手話は別立てとするのではなく「人類社会を有機的に結合せしめている」とglobalな視点から考えている。
後に掲載するが、この当時から「手話はろうあ者の母語」とする主張があった。
それに対する全面的な批判をし、その誤りを指摘をし、人類社会と有機的に結合する検討が進められている先駆性に学ぶことはあまりにも多い。