手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
京都。
京都の手話の写真を見て。今の京都の手話とあまりにも違うと思われるだろう。
実は、この写真は現在使われている九の指文字を左右で広げて瞬時に折りたたんで表現しているのである。
写真だけでは、居る、という手話になるが、それはそれで、自分が居る処=京都となっていいのだが、西というもともとの京都の手話表現は、1950年代以前は、九の指文字を左右で広げて=太陽 として それを下に降ろすことで太陽が沈む=西=京都とされていた。
現在の京都の手話のように両手の親指と人差し指を広げて他の指は曲げて、手首をねじって下方で太陽が沈むイメージとしての=西 はされてこなかった。
以下省略するが、先にも述べたが、手や腕・身体に負担や無理がかかるような手話はろうあ者の中で自然と駆逐された。
それは、戦前のろう学校で教えられた手話もろうあ者の中で淘汰されたことも同様である。
このことは非常に大切な意味を持つが、重視されていないことは極めて残念である。
学校長。
本を合わせて(開いて)=学校 右手中指を上げて中心の人 そして右手人差し指で指示する これらをまとめて学校長という手話表現である。
左手で本を示したままで学校の意味を残したままの表現である。
指示する、とするが先生という手話表現をとりいれていないところに教育者でないようになった学校長の意味をうかがわせる。