手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
司会が、第一回手話通訳者会議に参加した人々に次のような質問をした。
ここにお集まりの皆さんで全国的にみて「手話」を育てる「サークル」がどの位あるか紹介して欲しい。
同じ身障者の集まり
でもろうあ者が孤立化
それに対して、
浜松の坂本さんは、
私自身は、肢体身障者でもある。同じ身障者の集まりの中でもろうあ者が孤立化している。他に対しての反感、敵対心をもっている。
私は筆談と見よう見まねで覚えた手まねで2~3年問接触を続けたおかげで、手まねが自分の身についた。
しかし、方言と基本的なものとのくいちがいが多くある。手話の統一が必要である。
これからサークル活動をしていく上に真から理解してくれる人達が集めて「よろず会」とうものを作つた。 身障者が一般の中に伍していく努力が大切だろう。
市役所、教育委員会、青年部6/25~講習会を開く予定である。
全国的な研修会を度々開いてほしい。
と報告し、
軽い気持で
通訳の勉強をする人の多い脱落
横浜の田中氏は、
手語について専門的研究をしている人がいるが、 軽い気持で通訳の勉強をしに来る人が多く脱落者が多いが、活動や運営はどのようにしているか。
と質問し、これに対して
ろうあ者のおかれている立場を
はっきりとらえる手話学習
全国的に先駆けて手話学習サークルを立ち上げたみみずく会の谷氏(この後、京都市選任手話通訳者を経て大学教授)は、
ろうあ者の身近な問題を理解する、 ろうあ者のおかれている立場をはっきりとらえる、ろうあ者との交際、その中で手話を覚えていく(勉強するという気持でなく)そのような構えがまず先決と思う。
しかし、
なぜ手話を覚えるか?
その動機、出発、力となっていくためには?
はっきりした権利意識が大切。
通訳者の身分保障制度が必要となってくる。
体制⇒サービス活動を通じて⇒究極には、 行政の中へ働きかけてとり入れさせていくことがねらいだ。
行政の中でとりあげられない細かい、しかも、最も大切なものを補つていくのが我々であるという意識権利主張の代理者である。