手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
7年間にわたる手話通訳者会議を再考察してみると、手話はこうでなければならない、正しい手話こうだ、手話が違うので困るなどなどのことがあまり出されていない。
最近手話を学ぶ人々のつぶやきを知ると、ありもしなかったことがさもさも昔からの手話であるかのように教えられていて疑問を持っていることも書かれている。
だが、7年間にわたる手話通訳者会議の内容や討論はほとんどそういうものは出てこない。
ましてやそれぞれの地域の手話を正しい、間違いであるとされる意見は出されていない。
それはなぜか。
手話通訳が机上の空論としてではなく、現実直面する手話通訳の諸問題を率直に話し合われたからではないかと考える。
ただ、手を動かすことで、手話通訳をした、とか、手話が上手である、とか、手話通訳者の権威を誇示することはなかった。
第7回全国手話通訳者会議第3分科会
「手話技術の諸問題」
運転免許の通訳にお け る手話技術の諸問題
奈良県では, 運転免許においての通訳について学科の講習の時, カタカナの言葉が多く出てくる。
その場合はほとんど指文字を使つている。指文字のわからない人については, 出来る範囲でやつてもらつています。
栃木では, 運転免許の通訳は, カタカナの文字や車の専門用語については, ろうあ協会の中で新しい手話を作つて, その後通訳者及びろうあ者に教えています。
浜松では. 運転免許の講習の通訳は, 指文字を入れてやつている。 技能の場合は自動車学校の先生がカードを見せる方法をとつている。
運転免許での通訳で一番感じたことは、問題の最後の文字でろうあ者がひつかかるということです。
~しなければならない。
~するべきだ。
とかその他, 語の意味や文章の読解ができないということです。
そのため. なかなか免許をもらうことができないろうあ者がいます。