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{特別投稿}ろう教育の常識と前提 故藤井進先生からの伝承
特殊教育という名称を
障害児教育と変更を提案
その背景を充分理解する必要がある
藤井進先生が指導主事になって、それまでの京都府教育委員会の特殊教育という名称を障害児教育と変更を提案した中身を次のように語っていた。
単なる名称変更・言い替えということではなく、その背景を充分理解する必要があるだろう。
なお特別指定都市だった京都市教育委員会は特殊教育という名称を文部省通りに従いその名称を変えることはなかった。
京都府教育委員会は、特殊教育という名称を障害児教育と変更を提案するまでは特殊学校という名称ではなく、盲学校、聾学校、養護学校という名称で呼び、京都府下の「特殊学校」は、それぞれの学校が決めた名称に従って画一した指導はしていなかった。
したがって、○○学級、○○組、特別学級などの名前で呼ばれることも多く、子どもたちや保護者、教職員、地域の人々の意見を聞いて学級の名称が呼ばれることも多く、またその名称も変えられることもあった。
名称をつかうようになった若干の経過
京都府教育委員会が特殊教育という言葉をやめて障害児教育というのも言葉をつかうようになったきっかけを藤井進先生は次のように語っていた。
1968年当時は、心身障害児教育という名称で言われることもあったが。
‥‥‥ 名称の変更の論争の中では、
①子どもたちの基本は、基本的人権を持った子どもである。特殊な子どもではない。
②盲ろう養護学校をつくっていく上でそれぞれに必要な教育内容・発達を保障しようではないか。
憲法26条はそれを保障しているのではないか。
すべての子供は教育を受ける権利があるということがあった。‥‥‥
学校教育課の指導主事会議で提案
いろいろな質問が出され
意見が出されたが
そのことを藤井進先生は、学校教育課の指導主事会議で障害児教育と提案する。
‥‥‥同和教育担当指導主事や生徒指導主事などから、いろいろな質問が出されたり意見が出された。
論議され続けた。
積極的に賛成したのは、同和教育担当の指導主事だった。
障害児教育は特殊教育ではない、この際改めるべきだ、と言う意見が強く出された。
今になると当時、未解放部落という言い方に変えられたこともあったのではないかとも考えられる。
京都府教育委員会はこの段階で障害児教育という言い方に変えた。
教育行政や教育委員会が、特殊教育という言い方ではなく障害児教育という名称を使うのは全国的に非常に珍しいという状況であった。‥‥‥