ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
聴覚障害者が学ぶことが大切だというの?
未就学の聴覚障害者の未来
ある聴覚障害者に同行して京都府下の小さな家を訪ねた。駅から歩いてとても時間がかかった。
農村地帯の集落の端。他の家と比べると「納屋」かと思えたほどの家。
訪ねて、家に入ったとたん、サーッと人影が消えた。
お母さんが出てきて話が始まった。
これから先のことは考えるすべもない
お母さんと娘の二人暮らし。
周りの家々との交流はほとんどない。
いや閉ざされていた。
聞こえないというだけでも肩身が狭いのに娘は、まともでない。
身の回りも充分出来ないまま。
お母さんは年老い過ぎた。娘も年老いた。
これから先のことは考えるすべもない、とお母さんは言う。
もちろん娘さんは「未就学」だった。
家がすべての世界
生まれてから、この子はほとんど家を出ることはなかった、と言う。
家が自分の世界であり、すべてだった。
それ以外は何もない。
本当に何もない。
親が教育を受けさせる「義務」
義務教育を受けなければならない
就学免除が生きていた時代。
と言っても解らないと思うが、子どもには親が教育を受けさせる「義務」があり、子どもたちは義務教育を受けなければならない。
瀬山君は、学校がある、学校にも行けない、学べない、人びとがいたことなど想像出来ないだろう。
親が教育を受けさせる「義務」を負わされていて、子どもが学校に行けないと、学ばせない、学べない、とされた場合は、親が学校に行くことを待ってもらう「就学猶予」と学校に行かない「就学免除」がある。
お母さんが、「就学免除」届けを出し
未就学の娘さんは就学時、小学校に入学する前にお母さんが、「就学免除」届けを出して、それから学校で学ぶ、学校外で学ぶということが一切出来なくさせられていた。
ここで、これまで書いた義務教育についての説明は「間違って」いると思うだろう。
親や子どもに義務教育の責任はないはずだ、と。
そうなんだ。
そうなんだけれど実際は、親に義務教育のすべての責任を負わせていたことがあったとしか書けない。