ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
聴覚障害で困ったことは なんにもない
お母さんがしてくれる
あなたの友人(仮名 瀬山君)から少し違った質問があり、それに対して書いた手紙のコピ-を同封しておきますので合わせて読んでみて下さい、と書いておきましたが、彼に宛てた手紙に少し注釈を書いておきます。具体的な例は、仲間の人から拝借した文もあります。
瀬山君は、あなたもよく知っているように16歳の時、「聴覚障害で困ったことは?」と聞かれて「何にもない」と答えましたね。
あなたが、何度も聞いても「何もない」と言いつづけ、終いには「お母さんが何でもしてくれるから、困ったことはない」と言い出した。
あなたは「それはおかしい」「なんでもお母さんがしてくれるの。」「じゃあ、お母さんが困っているのじゃないの」とまではなしたため瀬山君は頭を抱え込んでしまいましたね。
聴覚障害で困ったことを探して
あれから瀬山君は、自分自身が「聴覚障害で困ったこと」を考え続けています。
何度も何度も質問がありましたが、自分なりの考えも持てるようになり、最近はお母さんに「苦労かけて‥‥‥」と言うようになっています。
彼の質問と返事を紹介します。
昔と言っても少し前の聴覚障害者は、
どんなことで困っていたんですか?
十年一昔、という言葉があるが、今日の聴覚障害教育を取り巻く状況は、大きく変わったようにも見える。
数十年前の聴覚障害者にとっては、生活そのものが「コミュニケーションの壁」との「闘い」であり「苦悩」の連続と「あきらめ」を余儀なくさせられていた面もある。
例えば物ひとつを買うことについても聴覚障害者に苦労があったと言う。
たまった小銭と買い物
ある人は、買い物に行って帰ると多くの小銭がポケットに溜った、と言う。
買いたいものの値段を聞く事が出来ないためついつい札を出し、お釣りで値段を確かめるという事が習慣化されていたためである。
買い物で店の人と会話することがなくなったが
物を買うのに店の人に値段を聞く、考える、時には値切る、ということが出来なかったと言う。
その悩みが聴覚障害者からよく出されていた。
もちろん顔見知りになっている商店街の店の人とは、信頼関係と心の行き来はあったのだが、見ず知らずの店となると多くの不安を抱え込まざるを得なかった。
しかし、今日、物を買うという場合、店の人と会話を交わすことなく欲しい物が手にはいるという社会状況がすすんできている。
健聴者でも一日、人と話することなく生活する、という話もよく耳にする。
昔と比べて生活しやすい社会になってきている
と理解していいの
この社会状況の変化はほんの一例であるが、人間同士の会話は「変化」してきているため聴覚障害者にとって、昔と比べて生活しやすい社会になってきている、と理解していいのだろうか。
人間の基本を見据えた聴覚障害者の問題を考えなければならない段階に来ているように思うが。