communion of mind with mind
猪口(仮名)さんが、あの手話通訳者は信頼出来る、と触れ回っていたことをBさんは、すでに知っていた。
そして、手話通訳する人への信頼について次のように言った。
1,今は、手話通訳をする人はとても少ない。
だから私たち、ろうあ者・手話をする聴覚障害者は、手話通訳をする人へ多くを期待し、信頼を寄せようとする。
2,でも、その反面、手話通訳をする人への「疑心」を表さないことが多い。
それは、手話通訳が出来る人を信頼し、頼って、「煮え湯を飲まされた」歴史を負っているからであるとも、思っておいて欲しい。
過去に手話が出来る人によって加えられた悲惨で絶望的な事柄を知ることになるだろう。
3,信頼と裏腹に揺るぎのない不信、感謝してもその裏にある怨嗟があることも知っておいて欲しい。
4,もちろんこれからそういうことがないように手話のできる人びとと私たちが協力し合い「人間信頼の橋」をつくっていかないと、思う。
5,手話のできる人がこれから増えてゆくと思う。
増える度に疑心と不信が増えるのか、揺るぎない信頼が出来るのかどうかは、歴史が決めるのではなく私たちがつくっていかなければならないと思う。
聞える、聞えない、と二つの側だけの判断ではなく、二つがひとつとなって判断出来る世の中になってほしい。
いろいろあるが、私も率直に言うので考えて行って欲しい、と提案された。今もあの時のことばを噛みしめている。
Bさんは、その後、さまざまなことを教えてくれた。