手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

違っていた視覚障害者・盲人と聴覚障害者・ろうあ者の施設・設備 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑱

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手話を知らない人も

                     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介

 

  京都市、特に京都市職員の福祉担当者はろうあ者は単に耳が聞こえない、とだけ考えるのは誤りで表面的な現象だけを聞いていてはならないという考えを持つようになり、旧ライトハウスの改装を関係者の要求を聞き予算と改装を提案してきた。

 

 この背景には、同じ机で働く嘱託専任手話通訳者(その後正規職員へ)のはたした役割は非常に大きなものがあった。

 

彼は、恒常的に福祉関係の職員と話し合いを積み重ねていたばかりか、広い範囲で障害者問題を捉え、提起していたので京都市の職員にとっては「目から鱗が落ちるような」状況だったと後に語っていた。

 

大きく異なっていた
視覚障害者・盲人と

    聴覚障害者・ろうあ者の利用

 

 ライトハウスは、視覚障害者・盲人のためにつくられていたので建物そのものは窓が少なく、通路や部屋は通常より狭くされていた。

 

 ところが、聴覚障害者・ろうあ者は視覚が頼りになる。

 

 そのため薄暗さは反って施設を使う上では困難となった。

 

 また壁の色や部屋の色も視覚障害者・盲人と聴覚障害者・ろうあ者の利用では大きく異なっていた。

 

 かって堺ろう学校は、緊急避難階段をグリーンで統一し、ろう学校の生徒が落ち着ける条件をつくって避難出来るようにしていた。

 

 赤の非常色では反って心理的同様と不安を抱かせるからである。

 

 光、色、空間を

 聴覚障害者・ろうあ者が利用しやすいよう

 

 光、色、空間を聴覚障害者・ろうあ者が利用しやすいようにいかに改装をするのか。

 

 簡単出ない課題に京都市の担当者と京都ろうあセンター職員とろうあ協会は絶えず意見交換をおこなった。

 

 採光を採りいれるためには、旧ライトハウスの窓を大きくする、また新たに窓をつくるという問題があった。特に階段部分の採光は困難を極めた。

 

 電気を増設すればいいという問題ではなく、自然光をとりいれることは聴覚障害者・ろうあ者にとって精神的安定と広がりを感じさせるものでとても大切なことだった。

 

 最近の広々と外を見渡せる建物構造を詳細に観ると視覚障害者・盲人と聴覚障害者・ろうあ者が共に利用されやすい構造になっていてとてもうれしく思うのだが。

 

ろうあ者や聞こえる人々の

     輪は急速に広がって

 

 旧ライトハウスの改装で、新たなる窓の設置と窓の拡充は建物を維持する上で必要最小限に限られた。窓だけを拡充すると建物が崩壊する危険があったからである。

 

 必要最小限の窓や部屋の拡充と共に部屋の配色も変えられ、建物の奥には簡単な調理設備と食事が出来るようにされるなどの改装が行われたが、やって来たろうあ者は大喜びであった。

 

 自分たちの心地よい居場所、いつでも寄れる場所が出来たからである。この場所を中心に京都ろうあセンターを中心にろうあ者や聞こえる人々の輪は急速に広がっていく。

 

 だが、改装では、防音という重大な問題が考えられていなかった。

 

 それは、聴覚障害者・ろうあ者のための意味だけではなかった。