手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

炉端で昔話が話され、それが引き継がれたように手話も 昭和 照る 南座 電気灯る

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  手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 かって福岡県に行ったったときに昭和初期に生まれたろうあ者は、「私が生まれたのは(南座と同じ手話)6年で~」と話をしはじめて?、と見てしまったので、よく聞いてみると福岡の高齢なろうあ者の人たちでは「照る」=昭の意味で手話が使われていることが解ったことがあった。

 

 それが分かるのには、少しばかりの時間が必要であったが。

 

  水力発電  電気が使われる   電気で照らす

 

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 漢字を巧みに省略して採り入れる手話表現だが、写真の「南座」の表現は、京都では日本で最初の水力発電がつくられ、電気が使われるようになったことから「電気で照らす」「電気」という意味などの多様な表現がされていた。

 

 ただし、「照」位置は福岡のろうあ者の手話表現のおでこの位置ではない。

 

 南座の表現の場合は、電柱が立てられその先から照らされてたことからこの表現が普及したが、歴史的にもろうあ者が初めて見た電気の輝きの表現だが、今はほとんど知られていない。

 

  ガス灯・ランプ灯    灯す様子

 

  それより先には、ガス灯・ランプ灯が京都の街のあちこちにあっり、夕暮れ時になると火を灯す人が梯子を持ってきて、次々と灯す様子などの話を手話で聞いた。

 

 その表現は、じつに見事で手話を見るものをその時代にタイムスリップさせるた。

 

 炉端で昔話が話され、それが引き継がれたように手話も同じように手話で語り継がれていた。

 

学習権なくしては人間的発達はありえない 学習権宣言 (The Right to Learn)

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手話を知らない人も

          手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

    学習権は人類の生存にとって

         不可欠な道具

 

   学習権宣言 (The Right to Learn) 1985年3月29日 第4回ユネスコ国際成人教育会議は、

 

  成人教育パリ会議は、この権利の重要性を再確認する。
  
 学習権は、きたるべき日のためにとっておかれる文化的ぜいたく品ではない。
 
 それは、生存の問題が解決された後にはじめて生じる権利ではない。

 

  それは、基本的はニーズが満たされたあとにとりあげられるものではない。

 

  学習権は、人類の生存にとって不可欠な道具である。

 

    学習権なくしては

            人間的発達はありえない

 

  もし、世界の諸人民が食糧生産やその他人間に不可欠なニーズを自給自足できることをわれわれが望むならば、世界の諸人民は学習権をもたなければならない。

 

  もし、女性も男性も、よりよい健康を享受しようとするならば、彼らは学習権をもたなければならない。

 

  もし、われわれが戦争を避けようとするならば、平和のうちに生きることを学び、互いに理解し合うことを学ばなければならない。

 

  ”学習”はキーワードである。

 

  学習権なくしては、人間的発達はありえない。

 

  学習権なくしては、農業や工業の躍進も地域の健康の進歩もなく、そして実際、学習条件の変革もないであろう。

 

  この権利なしには、都市および農村における労働者の生活水準の改善もないであろう。

 

  端的にいえば、学習権は、今日の人類にとって決定的に重要な諸問題を解決するために、われわれがなしうる最善の貢献の一つなのである。

 

  しかし、学習権は経済発展のたんなる手段ではない。

 

 それは基本的権利の一つとして認められなければならない。

 

 学習行為は、あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人間行為を出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えていくものである。
 
 それは基本的人権であり、その正当性は普遍的である。

 

 学習権は、人類の一部のものに限定されえない。

 

 すなわち、男性、工業国、有産階級、もしくは学校教育を受けるほど十分幸運な青年たちだけの排他的特権であってはならない。本パリ会議は、すべての国に対し、この権利を実施し、すべての者が効果的にそれを行使するのに必要な条件を作るように要望する。

 

 などと極めて重要なことが述べられている。(以下略)

 

 

学習権宣言 (The Right to Learn) 日本では重視されて来たと言いがたいが

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     手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介


   学習権宣言 (The Right to Learn) 1985年3月29日 第4回ユネスコ国際成人教育会議採択では、

 

 学習権を承認するか否かは、いまやかつてないほどに、人類にとって主要な課題になっている。

 

教育の手だて(resources)を得る権利

 

  学習権とは、
  
  読み、書く権利であり、

   質問し、分析する権利であり、

   想像し、創造する権利であり、

   自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、

   教育の手だて(resources)を得る権利であり、

   個人および集団の力量を発展させる権利である。

 

とされているが、未就学のろうあ者の手話獲得までの過程を考えてみると、

 

  家にある釜を指さして「手話で釜」を表す。未就学のろうあ者に「釜」の手話表現をしてもらう。「釜」+「釜に入れて」+火をつける⇒「炊く」

は、教育の手だて(resources)を得る権利であるとも言える。

 

質問し、分析する権利
  想像し、創造する権利

 

  未就学のろうあ者から、いろいろなものを指びさして、身振り手振りで表現してくる。

 

 手話表現と同じものが次第に多くなってくるは、質問し、分析する権利であり、想像し、創造する権利でありとも言える。

 

  さらに、こうなると、「手話表現」=「ことば」は、無限に広がる、は個人および集団の力量を発展させる権利である、とも言える。

 

学習宣言、日本では無視されて来たが
     多くの人々の努力と地道な取り組みで

 

  国際的な条約や権利宣言は、形態や状況は違っても同様な取り組みをしていてその集約の上に提出されるものである。

 

 この学習宣言は、日本では重視されて来たと言いがたいばかりか、学校にも行けてない障害者の教育はないがしろにされたままだった。

 

 それでも関わらず、全国各地で多くの人々の努力と地道な取り組みで学習宣言の中身が創りあげられてきた。

 

あれ これ それ あの といろいろなものを指びさして 身振り手振りで表現して 無限に広がる手話

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手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

   いろいろなものを指びさして

「同じ」の手話が

「そうそう その通り」「そうだ」となると

 

 未就学のろうあ者から、いろいろなものを指びさして、身振り手振りで表現してくる。

 

 手話表現と同じものが次第に多くなってくると手話で「同じ」とするとみんな大喜び。

 

   「そうそう、その通り」、「そうだ」、と。

 

 この時点で、「同じ」の手話は「そうそう、その通り」、「そうだ」、と言う意味を持ってくるのである。

 

  こうなると、「手話表現」=「ことば」は、無限に広がる。

 

 故田中昌人先生はそのことへのアプローチと意味を教えてくれたのだ。先生と学ぶことは何か、教育とは何かを、数知れないほど話し合った。あの時のコーヒーの温もり。

 

  後に先生は、学習権宣言 (The Right to Learn)のことを繰り返し、話してくれた。

 

あなたの手話と私の手話は「同じ」 からはじまる手話 そして「同じ」と「違い」が解り「同じ」になる手話の法則「釜」+「釜に入れて」+火をつける⇒「炊く」

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 手話を知らない人も

                   手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  手話で話していて「?」となって

 

 手話で話していて「?」となって手話による会話が途絶える時。

 

 お互いに充分話をしていれば、「あああ、あなたはこのような手話を使うのか」「私はこのような手話を使う」となる。

 

  この手話は、このように表現されていたの、と話題は広がる。

 

 あなたの手話と私の手話は「同じ」。

 

 とお互いの理解が広がると相手の手話を採り入れてして話をしたり、この手話のほうがぴったり来るとなるとお互いが一つの同じ手話で話をするようになる。

 

 そういう場面を、あらゆる機会に見てきた。

 

  お互いが話をしたり
交流すると「通じ合う」

 

 手話の表し方が違っても、お互いが話をしたり、交流すると「通じ合う」のである。

 

 このことは手話だけでないけれど、「気持ちが通じ合う」と言う点では、「同じ」ではないだろうか。

 

 私たちはこのことに気がついて手話もことばも文字も獲得していない未就学のろうあ者に次のような取り組みをした。

 

釜を指さして「手話で釜」を から

 

 家にある釜を指さして「手話で釜」を表す。

 

 未就学のろうあ者に「釜」の手話表現をしてもらう。
 
 出来たら、お互いに拍手。にこにこ笑顔が飛び出す。

 

 ソレを繰り返す。

 

 次に「釜」をガス台の上に置く。

 

 火をつける。手話で、「燃える」を表す。

 

 未就学のろうあ者にお「燃える」の手話表現をしてもらう。

 

 出来たら、お互いに拍手。

 

 にこにとお互いの笑顔が飛び出す。

 

「釜」+「釜に入れて」
                +火をつける⇒「炊く」


 コレが出来たら、釜にといだ米と水を入れてガスの上に置いて、火をつける。
 
「釜」+「釜に入れて」+火をつける⇒「炊く」

 

 米を指さし、「米」の手話を表す。「炊く」

 

 炊けて、茶碗に盛る。(コレは動作で)

 

 そして、「食べる」の手話をして、同じようにしてもらう。

 

 焼き魚があれば、ソレを「食べる」。

 

 

コレとアレ ソレとコレ 「同じ」という手話で無限に広がる手話

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 手話を知らない人も

                手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 「同じ」という手話は、未就学のろうあ者に多くの手話やことば、文字を学んでいく上で重要な手話表現であり、手話の基本中の基本であると思っている。

 

 数字の歴史を考えても2と言うことからはじまる。

 

 貨幣経済が登場するまで、いや今でも世界各地で「物々交換」が行われているが、それは同じ価値を持った、同じねうちをもったものと交換という意味合いを持つだろう。

 

 なかにはとんでもない悪いことをする人々もいたが、これとあれと、これとこれは、同じ、ということは人間の交流のはじまりだった。

 

 先史時代もその後の歴史もはなしことばが通じない時に人々は「同じ」と言う概念でコミュニケーションをすすめた。

 

人間発達の意見交換したときの
    コミュニケーションの重要な指摘

 

 以上のことだけ考えてみても、手話の持つこの「同じ」はとても大切な意味合いを含んでいる。

 

 1969年。自転車で世界一周に出かけた京都のろうあ者は、この同じという概念を使って外国の人々とコミュニケーションをはかっていた。

 

 この手話表現は人間なら誰しも通ることばの獲得の道筋なのである。

 

 私は何気なく、この同じという手話表現を使っていたが、故田中昌人先生(当時京都大学教育学部)から人間発達の意見交換したときに重要な指摘をしてもらった。

 

  「連続二語」からのことばの発生

 

 故田中昌人先生は、

 

 人間がことばを獲得して行くときに、「ニャンニャン」「まんまん」など「連続二語」から発生し、ことばを獲得してことばの自由度が広がって次の段階に移行する

 

と説明された。(この時以降、さらに綿密な研究がされていたが‥‥‥)

 

 奥さんの田中杉恵先生は、大学卒業後、大阪市立ろう学校に勤めていた時に田中昌人先生とろう学校の生徒のことで再開して結婚された。

 

 その過程でもろう学校の教育やはなしことばや人間のコミュニケーションを大いに話し合われて、その後、共同研究し続けたことはあまり知られていない。

 

無限に広がる  コレとアレ、ソレとコレ

 

 詳しく書くと長文になるから省略する。

 

 「手話の同じ」は、コレとアレ、ソレとコレとで「無限」に広がる。
 
 手話に地方性があるからそこ地域で使われている手話は、他の地域では通じないから「統一した」「規格化」した手話が必要だと言っていた人々がいた。

 

 たしかに、手話で話していて「?」となって手話による会話が途絶えることがあったが。

 

 

こころをつなぐ 「同じ」 という 手話

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  手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

   「同じ困っている」点からもう一度

 

「ろうあ者のCさんの話も、向かいの聞こえる奥さん話も、どちらの言っていることにも理解できることがある。聞こえない、聞こえるという違いを強調するのではなく、その共通点から考えてみよう。」

 

と大矢さんと一致して、

 

 困っている点では「同じ」なんだから、まず、「同じ困っている」点からもう一度、Cさん宅を訪ねてみよう、

 

と言うことになった。

 

  タイヤに空気を入れることすらも

 

 数日後、再びCさん宅を訪ねた。自転車のタイヤがへこんでいた。

 

 調べてみるとタイヤの空気が抜けていた。

 

 Cさんは、自転車屋でタイヤに空気を一度入れてから空気を入れるポンプを借りて空気を一度していないことが解った。

 

 そこで、自転車屋さんに行き、事情を説明して、ポンプを借りて空気を入れる方法をCさんに知らせた。

 

 Cさんは、タイヤに空気を入れてもが自然に空気が抜けることを知らなかったのである。いじめでパンクさせられているわけではなかった。 

 

いじめでなかった
 テレビの映りが悪くなったのは

 

  Cさんの家の屋根のアンテナをよく調べると傾いたままになっていた。

 

 アンテナを支えるコードを引っ張って調整すると、アンテナは真っ直ぐになりCさんはテレビがよく映るようになったと喜んだ。

 

犬ののどをそっと触ってもらい
 犬の尻尾がCさんの顔に来るように

 

 次の難問は、犬が吠える、と言うことを知らせることだった。

 

 Cさんに犬ののどをそっと触ってもらい、犬の尻尾がCさんの顔に来るようにすると犬が吠えはじめた。

 

 Cさんも大矢さんも、犬がCさんに顔を向けていない時に吠えると言うことを知った。

 

  向かいの家に謝りたい、とCさん

 

 それからまもなくして、Cさんは、向かいの家に謝りたい、と言いだし、向かいの家の奥さんと会った。

 

 Cさんが謝る様子を見て奥さんは、

 

「狭いとろで住んでいるんですすから、お互い様です。こちらもすみません」

 

と笑顔で話された。

 

 しばらくして、Cさんの家の釘や鉄条網はCさん自身が取り除いた。

 

 これが、「ワンワン物語り」だけれど、大矢さんも私もいろいろなことを考え込んでしまった。

 

 その後、大矢さんとも問題が生じ、対立したがいつもお互いが、「ワンワン物語り」と言って一致点を見いだした。

 

 私は、「同じ」という手話がどれだけ大切で、手話の基本になるかを身にしみて感じた。